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江戸幕府高家今川家菩提寺:観泉寺(かんせんじ)
令和五年四月現在、観泉寺ではご朱印は授与されていませんでした。
由緒
慶長二年(1597年)に中野にある成願寺の住職である鉄叟雄鷟(てつそうゆうさく)によって、
多摩郡下井草に創建し、観音寺と称しました。
正保二年(1645年)に今川家十三代当主の今川直房は、
江戸幕府三代将軍の徳川家光の命を受けて京に上り、
『東照大権現』の宮号宣下の使者を勤めました。
宮号宣下の後、日光東照宮が創建されました。
その功により井草村など三ヶ所を加増されたのを機に観音寺を菩提寺とし、
現在地に移転し、伽藍を建立し、寺の名を観泉寺と改めました。
信仰篤く伽藍建立に寄与した姉を中興としました。
寛文二年(1662年)に今川直房は市谷田町の万昌院が牛込に移転する際、
万昌院にあった今川氏真と直房の母の墓を観泉寺に移し、
今川氏真を開基としました。
山門
『都旧跡今川氏累代墓』という石碑がありました。
本堂
宝暦十三年(1763年)に本堂などが焼失しましたが、翌年に再建されました。
観音堂
観音堂前には『東京百観音第六十七番霊場』と書かれた石碑がありました。
鐘楼堂
境内
庭園
広い境内には池もあります。
平成二十九年十二月参拝時:紅葉の境内と庭園
紅葉も綺麗な寺院です。
六地蔵
観泉寺山門の手前には六地蔵への山門がありました。
今川氏累代墓
本堂横の墓所に今川氏累代墓があります。
墓碑が残るのは今川氏真以降の当主や一族出身の女性や子供など多岐に渡っています。
江戸時代には今川家は高家(こうけ)として、江戸幕府の儀式典礼を司り、
将軍の名代として京都への使者や、日光東照宮・伊勢神宮などへの代参を勤めました。
今川氏真と正妻・早川殿の墓所
今川氏真と正妻で北条氏康の娘である早川殿の墓所があります。
青面金剛庚申塔・馬頭観世音など六石佛・地蔵菩薩
山門から道路を挟み、六地蔵の山門前には、石佛や地蔵菩薩などがありました。
宅地開発や道路整備などで周辺から集められたそうです。
寺院情報
- 住所:東京都杉並区今川2-16-1
- アクセス:JR荻窪駅下車石神井公園駅行きバス乗車農芸高校バス停下車徒歩1分
西武池袋線石神井公園駅下車荻窪駅行きバス乗車
中央大学杉並高校バス停下車徒歩1分
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