埼玉県熊谷市:埼玉初の国宝:妻沼聖天山歓喜院のご朱印

日本三大聖天:妻沼聖天山(めぬましょうてんざん)歓喜院

日本三大聖天

日本三大聖天

待乳山聖天本龍院:東京都台東区
生駒聖天:生駒山寶山寺:奈良県生駒市
妻沼聖天山歓喜院:埼玉県熊谷市

聖天様(大聖歓喜天)仏法を守護し、 仏道を行ずる人々を守護する天部仏様です。

由緒

妻沼聖天山歓喜院斎藤別当実盛(さねもり)が、
治承三年(1179年)に先祖伝来の御本尊聖天を祀る聖天宮を建立したことにはじまります。

その後建久八年(1197年)良応僧都(斎藤別当実盛次男の実長)が、
聖天宮別当寺院として、歓喜院長楽寺を建立しました。

源頼朝参拝したほか、中世には忍(おし)城主の庇護を受け、
徳川家康によって再興されましたが、寛文十年(1670年)妻沼の大火焼失しました。

現存する本殿(聖天堂)は、享保から宝暦年間再建されたものです。

平成十五年(2003年)から平成二十三年(2011年)まで本殿の修復工事が行われました。

平成二十四年(2012年)七月九日本殿(聖天堂)国宝に指定されました。

御本尊

御本尊

御正体錫杖頭(みしょうたいしゃくじょうとう)の聖天国指定重要文化財(秘仏)

御本尊聖天さまは約10㎝男女の仏さまで、
つえの上部を模した高さ約47㎝の置物の中央部で抱き合う姿をされているそうです。

斎藤別当実盛公

実盛公は藤原氏の流れである越前国斎藤則盛の子として生まれ、
十三歳の時に武蔵国長井庄の庄司・斎藤実直の養子となりました。

生まれ故郷の越前国では早くから聖天信仰が普及していたため、
実盛も幼少の頃から歓喜天を深く信仰し、守り本尊としていたといわれています。

古希になった実盛は古社のあった当地にあらたに社殿を造営し、
「聖天宮」と奉称、長井庄の総鎮守としました。

斎藤別当実盛公:菊人形

実盛公の菊人形が展示されていました。
七十三歳の時の源平合戦に出陣する姿がモデルとなっています。

銅像菊人形は、年老いた武士侮られないように、
白髪や髭を黒く染めているところです。

国指定重要文化財:貴惣門

設計吉川藩(山口県)作事奉行である、
長谷川重右衛門(岩国・錦帯橋の架け替えの際の棟梁)です。

三つの屋根の破風よりなっているのが特色です。

貴惣門には右側毘沙門天左側持国天の像があります。

中門(四脚門)

中門寛文の大火唯一残り聖天山の建物中でも最古のものといわれています。

地元では中門のことを『甚五郎門』と呼ばれているそうです。

国登録有形文化財:仁王門

万治元年(1658年)建立されましたが、明治二十四年台風で倒壊しました。
明治二十七年再建されました。

国宝:本殿

本殿奥殿・相の間・拝殿よりなる権現造で、
同じ様式としては日光東照宮などが有名です。

平成二十四年(2012年)埼玉県初の国宝に指定されました。

大師堂

国登録有形文化財:平和の塔

妻沼聖天山の国登録有形文化財案内

国登録有形文化財:聖天山天満社

聖天山三宝荒神社(国登録有形文化財)

国登録有形文化財:聖天山五大明神社

ご神木の夫婦の木

本殿の彩色彫刻

相撲を取る人たちなどもいます。

細かい彫刻が見事です。

時間を忘れて見ることのできる彫刻の数々です。

妻沼聖天山歓喜院のご朱印

御本尊:ご朱印

観音菩薩:ご朱印

勢至菩薩:ご朱印

寺院情報

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