Contents
- 1 源頼朝ゆかりの三社詣:箱根神社(はこねじんじゃ)
- 1.0.1 源頼朝ゆかりの地
- 1.0.2 源頼朝ゆかりの三社詣・御朱印帳
- 1.0.3 箱根神社・由緒
- 1.0.4 箱根神社・御祭神
- 1.0.5 九頭龍神社新宮・由緒
- 1.0.6 第一鳥居
- 1.0.7 第二鳥居
- 1.0.8 第三鳥居
- 1.0.9 第四鳥居
- 1.0.10 第五鳥居
- 1.0.11 平和の鳥居
- 1.0.12 箱根神社・神門
- 1.0.13 箱根神社・社殿
- 1.0.14 龍神水と成就盤
- 1.0.15 九頭龍神社新宮入口
- 1.0.16 九頭龍神社新宮
- 1.0.17 三匿(さんとく)開運の碑
- 1.0.18 摂社:高根神社・駒形神社
- 1.0.19 弁財天社
- 1.0.20 箱根七福神・恵比寿神:恵比寿社
- 1.0.21 第六天神社
- 1.0.22 神輿庫
- 1.0.23 兄弟杉
- 1.0.24 曽我神社
- 1.0.25 曽我神社造営の碑・曽我兄弟八百年祭の碑
- 1.0.26 日吉神社
- 1.0.27 来宮神社
- 1.0.28 安産杉
- 1.0.29 矢立てのスギ
- 1.0.30 けけら木
- 1.0.31 清めの湯
- 1.0.32 船庫
- 1.0.33 明治天皇・昭憲皇太后御野立跡
- 2 箱根神社のご朱印
- 3 神社情報
源頼朝ゆかりの三社詣:箱根神社(はこねじんじゃ)
箱根火山の山体のひとつ駒ヶ岳は、約2万7千年前から活動を始めた成層火山で、
地形をよく観察すると、何枚もの溶岩流が流れ出たことがわかるそうで、
神社の本殿へ登る階段のある急斜面は、溶岩流の末端崖で、
本殿などの建物は溶岩流の上に建っているそうです。
源頼朝ゆかりの地
源頼朝ゆかりの三社詣・御朱印帳
源頼朝の参詣以降、武運にあやかろうと、多くの武将の信仰の場となりました。
箱根神社・由緒
第五代の孝昭天皇の時代に、聖占仙人が箱根の駒ヶ岳に神仙宮を開き、
神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となりました。
天平宝字元年(757年)に万巻上人が、箱根大神の御神託を受け、勅願をもって、
現在地に社殿を建立しました。
鎌倉時代には、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝が深く信仰し、
二所詣(三社詣:三嶋大社・伊豆山神社・箱根神社)を創始し、
鎌倉幕府歴代将軍の参詣は恒例行事となりました。
以来室町時代の鎌倉公方足利氏や、戦国大名の北条氏、徳川家康ら、
武門の篤い崇敬を受けてきました。
明治時代の神仏分離により、関東総鎮守箱根大権現は、箱根神社と改称されました。
箱根神社・御祭神
箱根大神:瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
御三神を併祀して、箱根大神と称してお祀りされています。
九頭龍神社新宮・由緒
九頭龍神社は古来『箱根権現御手洗(みたらし)の池』と称された芦ノ湖の守護神、
九頭龍大神をお祀りしています。
九頭龍神社本宮は、芦ノ湖畔九頭龍大神誕生の聖地に鎮座しており、
後年、箱根神社社殿横に九頭龍神社新宮が鎮座されました。
第一鳥居
箱根海賊船の元箱根港近くの国道一号線に第一鳥居が建っています。
平成五年に建て替えられて、国道一号線を跨ぐ鳥居では日本一の大きさを誇ります。
毎年正月恒例の箱根駅伝でも有名です。
第二鳥居
神社通り沿いの道路には第二鳥居が建っています。
第三鳥居
道路沿いから最初の石段を登ると、第三鳥居があります。
鳥居を潜ると老杉に囲まれた参道が続きます。
第四鳥居
手水舎の横に第四鳥居があります。
九十段の階段を登ると第五鳥居があり、社殿となります。
第五鳥居
平和の鳥居
芦ノ湖畔に建つ湖上の鳥居は、昭和二十七年に建立されました。
昭和三十九年には鎮座千二百年と、東京オリンピック開催を奉祝記念として、
『平和』の扁額が掲げられました。吉田茂元首相の真筆によるものです。
第四鳥居から道路を跨ぐと平和の鳥居があります。
平和の鳥居は元箱根港からも見ることができます。
箱根神社・神門
箱根神社・社殿
龍神水と成就盤
右側の九つの龍の口からは、境内より湧き出る『龍神水』です。
誓願符と呼ばれる願文を龍神水の流れる『成就盤』に納めると、水溶紙が水に溶けて、
芦ノ湖の九頭龍大神に届くといわれます。
九頭龍神社新宮入口
箱根神社の社殿の横に九頭龍神社新宮の入口があります。
九頭龍神社新宮
九頭龍神社新宮は、箱根神社社殿と並んで建っています。
三匿(さんとく)開運の碑
手水舎のそばには、源頼朝が石橋山の戦いで破れた後、
「土肥の椙山」、「しとどの岩窟」、「箱根神社」にて、
三度の大難を免れたことが記されている『三匿(さんとく)開運の碑』があります。
摂社:高根神社・駒形神社
『高根神社』は江戸時代、駒形能善高根権現合殿に祀られていた「高根権現」の神と、
明治期に合祀奉斎された稲荷社・天神社・春日社・山神社・吾妻社の神々を祀る社です。
『駒形神社』は、古来駒形権現と呼ばれ、箱根神社創建の頃から奉斎されていた、
駒形権現(駒ヶ岳の山神)と、能善権現(冠ヶ岳の山神)の神々、
さらに明治期に合祀奉斎された神明社と八幡社の神々を相殿に祀る社です。
弁財天社
かつて堂ヶ島に鎮祭されていました。
箱根七福神・恵比寿神:恵比寿社
箱根七福神の恵比寿神を祀る恵比寿社は、かつて箱根町の蓑笠明神社に鎮祭されていました。
第六天神社
かつて元箱根に鎮祭されていました。
かつては箱根山に入峰修行する修験者の篤い信仰を受けていました。
神輿庫
江戸時代に社殿造営工事を行った、小田原城主の稲葉美濃守が、
寛永七年の社殿造営工事完成記念に製作・奉納したものです。
兄弟杉
曽我兄弟は、同族間の所領争いにより、実父の河津三郎祐泰が、
工藤祐経に討たれるという不幸に遭遇し、亡父の仇討を果たしたい一心で、
境内の杉木立を師匠として修練、剣の道を自得しました。
仇敵の工藤祐経が、源頼朝の箱根権現参拝に従い、参列した際、
復讐を果たすため隙を伺いましたが果たせず、却って工藤祐経に諭され、
赤木柄の短刀を与えられました。短刀は国指定重要文化財として箱根神社に現存します。
曽我神社
曽我神社は鎌倉時代、箱根神社の稚児であった曽我五郎時致(ときむね)と、
兄の十郎祐成(すけなり)の霊を慰めるため、お祀りされたのが始まりです。
江戸時代の正保四年(1647年)に小田原城主稲葉美濃守正則が、石造の本殿を造営し、
平成になって社殿が改修されました。
曽我神社造営の碑・曽我兄弟八百年祭の碑
曽我兄弟は建久四年(1193年)に、
源頼朝に従って富士の裾野で大巻狩中の工藤祐経を、夜半に陣屋で襲って倒し、
先年与えられた赤木柄の短刀で止めを刺し、見事本懐を遂げました。
この時、兄十郎は戦死し、弟五郎は捕らえられましたが、
源頼朝の面前で堂々と仇討ちの真意を述べ、居並ぶ鎌倉武士を感嘆させましたが、
惜しまれながらも斬首されました。時に兄・十郎は二十二歳、弟・五郎は二十歳でした。
日吉神社
来宮神社
安産杉
社殿のそばにある樹齢千年を超える大杉は、安産杉と呼ばれています。
源頼朝が頼家(二代将軍)、実朝(三代将軍)の誕生前に、
妻の北条政子の安産祈願を行いました。
矢立てのスギ
延暦二十年(801年)に東北鎮撫に向かう途中の征夷大将軍坂上田村麻呂は、
箱根権現に「表矢」を献じて武運長久を祈願しました。
矢立のスギはそのいわれによるものだそうです。
けけら木
けけら木は、芦ノ湖中にある湖底木のひとつです。
太古の昔、巨大地震で陸上から芦ノ湖に地滑りした樹木の化石だそうです。
展示されている木は、先年の台風の影響で芦ノ湖が荒れた時に浮遊したもので、
神社に遷されました。
清めの湯
清めの湯は、箱根山から湧き出る霊泉です。温かいお湯でした。
船庫
湖水祭の御供船が入っており、祭りの際には、太鼓橋の下より出船します。
湖水祭は毎年7月31日に斎行されます。
芦ノ湖の遊覧船からも、平和の鳥居とともに船庫が見えました。
明治天皇・昭憲皇太后御野立跡
明治六年(1873年)に明治天皇夫妻が行幸されました。
芦ノ湖を眺める場所に御野立跡の石碑があります。
箱根神社のご朱印
平成二十二年拝受:箱根神社・ご朱印
平成二十六年拝受:箱根神社・ご朱印
令和五年拝受:源頼朝ゆかりの三社詣・箱根神社・ご朱印
平成二十六年拝受:九頭龍神社・ご朱印
令和五年拝受:九頭龍神社・ご朱印
平成二十六年拝受:箱根七福神:恵比寿神・ご朱印
令和五年拝受:箱根七福神:恵比寿神・ご朱印
御神印受付
帳面への押印は、受付後40分~60分程かかるようです。
箱根元宮の御神印授与について
箱根元宮の御神印は、箱根元宮の開所日は、直接元宮で授与されます。
神社情報
- 住所:神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
- アクセス:電車・バスの場合:JR小田原駅から「箱根・元箱根行」バスで75分
「元箱根」バス停下車徒歩約10分 - HP:https://hakonejinja.or.jp/
小田原駅名物駅弁
小田原鯛めし
行きも帰りもJRを利用しました。帰りは小田原駅で鯛めしを買って帰りました。
小田原名物の鯛めしは美味しく頂きました。
ご覧頂きましてありがとうございます。
清和源氏の嫡流である河内源氏の源義朝の三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、
北条政子との婚姻を期に、平家打倒に挙兵しました。
その後鎌倉幕府初代将軍となりました。
これにより東国に独立した武家政権が開かれました。
建久九年(1198年)に相模川の橋供養の帰りに体調不良からの落馬が原因で、
五十二歳で亡くなりました。