Contents
甲府五山(こうふござん):円光院(えんこういん)
甲府五山(こうふござん)
由緒
円光院は、武田信玄の先祖である逸見太郎清光が創建し、清光院と号し、
小石和郷にありました。後に武田信守が父・信重の位牌を納める寺とし、
成就院と改められました。
石和(いさわ)は室町時代までは武田氏の本拠地でしたが、
戦国時代に武田信虎によって居館が甲府に移されました。
永禄三年(1560年)に武田信玄により現在の場所へ移され、甲府五山の一つに定められました。
元亀元年(1570年)に武田信玄の正室である三条夫人が五十歳で亡くなり、
葬送された時の法名から、円光院と改称されました。
武田家が滅亡した後は、武田の家臣を祖先とする平岡氏累代の菩提寺になっています。
三条夫人墓所
本堂の左側に三条夫人墓所の案内看板がありました。
三条夫人は左大臣・三条公頼の次女として大永元年(1521年)に生まれ、
天文五年(1536年)に十六歳の時、駿河の今川義元の媒酌により、
武田晴信(信玄)の正室になりました。
三条夫人は武田信玄との間に、長男義信・次男竜芳・三男信之・長女黄梅院(北条氏政夫人)・
次女見性院(穴山梅雪夫人)を産みました。
本堂
円光院は延享三年(1746年)に伽藍を焼失しました。
最近まで実存した伽藍及び庫裡は、宝暦年間(1751~1760年)に再建されたものだそうです。
現在の本堂は昭和五十二年(1977年)に再建されました。
文化財案内
武田信玄が軍陣の守本尊として、居館の毘沙門堂に安置した刀八毘沙門天と勝軍地蔵尊は、
毎年四月に行われる『信玄公まつり』で御開帳されるそうです。
鐘楼堂
境内からの眺め
境内から南側の眺めです。甲府市内が良く見えました。
円光院のご朱印
令和六年拝受:ご朱印
寺院情報
住所:山梨県甲府市岩窪町500
アクセス:JR甲府駅下車武田神社行きバス乗車護国神社入口下車徒歩約15分
HP:https://enkoin.org/index.html
円光院周辺
武田信玄公墓所
円光院の近くには武田信玄公墓所があります。
天正元年(1573年)に信州伊那の駒場陣中で亡くなった信玄が密かに荼毘に付され、
武田二十四将の一人の土屋右衛門昌次(昌続)の邸内に埋葬されました。
現在は円光院が回向そのほか供養を行っています。
牛供養塔(うしくようとう)
山梨懸護国神社から円光院に向かう道すがらに牛供養塔があります。
牛は農耕用として重宝されました。
この牛供養塔は、昭和三十二年(1957年)に起きた火事で、牛小屋が類焼し、
農耕用に飼っていた牛が焼死したため、供養を目的に所有者が建てたものです。
路傍に多い馬頭観音に対し、牛の供養塔は珍しいです。
庚申塔(こうしんとう)
庚申講はかつて農村部を中心に盛んに行われていました。
庚申年などに文字塔や、庚申の神である青面金剛像が造られました。
ご覧頂きましてありがとうございます。
甲府五山は、武田信玄が京都や鎌倉に倣い、甲斐の古刹を甲府五山と定め、
城下に集めました。五山は全て武田家親族の菩提寺になっています。
長禅寺(ちょうぜんじ)
東光寺(とうこうじ)
能成寺(のうじょうじ)
法泉寺(ほうせんじ)
円光院(えんこういん)