【愛知県西尾市】華蔵寺(けぞうじ)のご朱印:吉良上野介(きらこうずけのすけ)公墓所

高家吉良家の菩提寺:片岡山華蔵寺(けぞうじ)

赤穂義士(赤穂浪士)討ち入り吉良邸
忠臣蔵に関する寺社・史跡を訪問した記事をまとめています。

吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)

吉良上野介義央

吉良家清和天皇後裔で、鎌倉時代足利義氏庶長子足利長氏が、
三河守護・吉良荘地頭を務め、吉良を名字としたことからはじまります。

吉良上野介義央祖父・義弥の時に、
江戸城における一切の典礼を司る高家の地位を得ました。
京への使者を任され、立派にその大任を果たしたことから、
以後有職故実(ゆうそくこじつ)家柄として重用されました。

義央は、寛永十八年(1641年)に、吉良義冬大老・酒井忠勝嫡男として、
生まれました。
忠臣蔵では悪役に仕立てられましたが、領地の三河の吉良(愛知県西尾市吉良町)では、
新田の開発塩業の発展に尽力するなど、名君として慕われていました。
元禄十五年(1703年)12月15日赤穂四十七士に討たれました。享年六十二でした。

東京都墨田区には、現在は本所松坂町公園となっている吉良邸跡があります。

「吉良の赤馬」像

寺標と山門

由緒

吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)曽祖父である吉良義定旗本となり、
吉良家を再興した際に、新たに高家吉良家の菩提寺として、江戸時代初期建立されました。

吉良家は、鎌倉時代に、足利義氏庶長子足利長氏三河守護・吉良荘地頭を務め、
吉良を名字としたことからはじまります。

室町幕府においては足利将軍家に次ぐ待遇を受け、幕府の中枢として活躍しました。
「御所(将軍)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」俗にいわれ
三管領家(斯波氏・細川氏・畠山氏)より家格・格式は上位でした。

吉良家墓所

吉良家墓所には西条吉良家出身吉良義安から、吉良上野介義央継嗣である義周まで、
六代の墓があります。

吉良上野介公墓所

吉良上野介公を慕う人々

村上鬼城(むらかみきじょう)の句

村上鬼城の歌

大正七年四月俳人村上鬼城は、華蔵寺に詣で、この句をしたためました。
『行春や 憎まれながら三百年』

尾崎士郎「吉良の男」

尾崎士郎吉良の男

華蔵寺のご朱印

平成二十六年拝受:ご朱印

寺院情報

  • 住所:愛知県西尾市吉良町岡山山王山59
  • アクセス:名鉄西尾線上横須賀駅徒歩約27分

ご覧頂きありがとうございます。