Contents
- 1 穴城(あなじろ)・酔月城(すいげつじょう):小諸城(こもろじょう)懐古園(かいこえん)
- 1.0.1 小諸城・懐古園由緒
- 1.0.2 国指定重要文化財:大手門
- 1.0.3 国指定重要文化財:三の門
- 1.0.4 第二次上田合戦遺構:徳川秀忠憩石(いこいいし)
- 1.0.5 牧野公遺徳碑
- 1.0.6 石垣
- 1.0.7 小諸義塾塾長・木村熊二レリーフ
- 1.0.8 二の門跡
- 1.0.9 二の丸跡
- 1.0.10 南の丸跡
- 1.0.11 中仕切門跡(なかしきりもん)
- 1.0.12 北の丸跡
- 1.0.13 番所跡
- 1.0.14 懐古園稲荷神社
- 1.0.15 草笛禅師・横山祖道
- 1.0.16 鶯石(うぐいすいし)
- 1.0.17 お駕籠台跡
- 1.0.18 黒門跡
- 1.0.19 藤村記念館
- 1.0.20 武器庫
- 1.0.21 懐古神社(かいこじんじゃ)
- 1.0.22 馬場・富士見台入口
- 1.0.23 紅葉谷
- 1.0.24 天守台跡
- 1.0.25 水の手不明御門跡(みずのてあかずのごもん)
- 1.0.26 水の手展望台から千曲川の眺め
- 1.0.27 酔月橋
- 1.0.28 地獄谷
- 1.0.29 荒神井戸
- 1.0.30 ヤドリギと枝垂桜
- 2 小諸城の御城印
- 3 小諸城情報
穴城(あなじろ)・酔月城(すいげつじょう):小諸城(こもろじょう)懐古園(かいこえん)

現在の小諸城は市営公園小諸城址懐古園となり、園内には城跡の史跡の他、
懐古神社や鹿島神社などがあります。
小諸城・懐古園由緒
小諸城は日本で唯一といわれる、城が城下町より低い位置にある「穴城(あなじろ」です。
天然の地形を生かし、側面の谷(田切地形)と背後の千曲川に面した断崖で、
守りが固められています。
長享元年(1487年)に大井光忠によって、鍋蓋城の支城として築城されたといわれ、
武田信玄の軍師である山本勘助による縄張りと言い伝えられています。
天文二十三年(1554年)に武田氏の所領となり、
信玄の弟信繁の嫡男信豊が城主となったといわれます。

武田氏滅亡後、織田信長家臣の滝川一益の所領となり、北条氏、徳川氏と移り、
天正十八年(1590年)に仙石秀久が入城後、
二代目の忠政が上田城へ転封となるまで居城となりました。
江戸時代は小諸藩の藩庁が置かれ、松平氏、青山氏、酒井氏などが封じられました。
元禄十五年(1702年)に牧野康重が移封された後、牧野氏十代の康済の時に明治を迎えました。
城跡は明治十三年(1880年)に旧小諸藩士が払い下げを受けて取得し、
大正十五年(1926年)には本多静六の指導を受け、
史跡の自然景観を活用した公園となりました。

国指定重要文化財:大手門

小諸藩主仙石秀久が築造しました。現在の門は慶長十七年(1612年)の建立と言われます。

五間の櫓門と入母屋造の本瓦葺で北面しています。東日本を代表する大手門建築の一つです。

江戸時代、ここから三の門までは「三の丸」で、台地を生かした城郭がありました。
三の門に向かってもぐっていくような、天然の谷を生かした坂道になっていました。

国指定重要文化財:三の門
『懐古園』の扁額は徳川宗家第十六代当主の徳川家達(いえさと)の筆によるものです。

三の門は慶長期から元和期(1596年~1624年)に創建されましたが、
寛保二年(1742年)に千曲川を襲った「戌の満水」と呼ばれる大水害によって、
大手門、足柄門とともに損壊し、現存する三の門は明和三年(1766年)に再建されました。

寄棟造りの二層の渡り矢倉門(多聞矢倉門)で、石垣も切り込みはぎの石積みです。
第二次上田合戦遺構:徳川秀忠憩石(いこいいし)

慶長五年(1600年)の関ヶ原合戦の出陣途中、徳川本隊は真田氏の上田城攻略のため、
小諸城を本陣としました。徳川秀忠が腰を下ろした床几石と伝えられます。
上田合戦で徳川軍は小諸に十日間足止めされ、関ヶ原の戦いに遅参しました。
牧野公遺徳碑

信濃小諸藩第九代藩主の牧野康哉(やすとし)の遺徳碑があります。
藩内の産業奨励や、天然痘の対策に日本初の種痘を行うなど善政を行いました。

石垣

正面の巨石、石垣は復元したもので、明治四年(1871年)の北国街道整備の際、
石垣は道路の端縁石(はしぶちいし)に用いられました。

昭和五十九年(1984年)に当時より大きな石を用いて復元しました。
小諸義塾塾長・木村熊二レリーフ

小諸義塾はかつて小諸市にあった私塾で、後に旧制中学となりました。

高等小学校を卒業した青年の勉学の場として、木村熊二が招かれ、
明治二十六年(1893年)に開校しました。島崎藤村も教鞭をとりました。
二の門跡

二の門跡があります。

二の丸跡

第一次・第二次の二度、上田合戦時の徳川本陣跡です。


南の丸跡

中仕切門跡(なかしきりもん)


北の丸跡

北の丸跡は現在、懐古射院として弓道場となっています。

番所跡

懐古園稲荷神社

藩主牧野公が元禄十五年に、越後与板藩から小諸藩に入封した際、
与板藩より遷座されました。後に城内鎮護の守護神として、
城内富士見台に祀られていた稲荷社と合併し、現在の地に遷座されました。

草笛禅師・横山祖道

昭和五十五年まで二十二年間にわたり、難しい説教ではなく、草笛の優しい音色で、
旅人や子ども達に教えを説いた横山祖道の草笛(千曲川旅情のうた)が流れます。

鶯石(うぐいすいし)

城主の通行や祝い事のたびに、うぐいすの鳴き声をたてたといわれています。
お駕籠台跡

黒門跡

黒門は本丸御殿の入口に設けられた門です。
藤村記念館

小諸にゆかりのある詩人・小説家の島崎藤村の記念館があります。

島崎藤村が小諸に赴いた頃の漂泊の思いと、人生旅情の詩境をうたった最後の詩集、
「落梅集(らくばいしゅう)」に収められている『椰子の実」の詩碑があります。

武器庫

文化十四年(1817年)に藩主牧野康長が建てたもので、廃藩後に取り壊され、
八幡村の依田仙右衛門宅に移し、更に東京へ移築され使用されていたものが復原するため、
当時の外観など原形に近いものを建てようとして再建したものです。

懐古神社(かいこじんじゃ)

本丸址にある懐古神社は、小諸藩主牧野氏の歴代藩主が祀られています。

令和八年一月訪問時は、噴水が凍結し、見事なオブジェのようになっていました。
馬場・富士見台入口

懐古神社を通ると馬場・富士見台入口があります。
紅葉谷

天守台跡

寛永三年(1626年)の落雷により、天守閣は焼失しました。

馬場から見た天守台跡です。見事な石垣です。

天守台跡から見た馬場の眺めです。

水の手不明御門跡(みずのてあかずのごもん)

小諸城の背後にある搦手(からめて)にあり、左右の石積みの間には、
間口九尺(2.7メートル)の門がありました。
屋根の上には通路になっていて、その先端には見張り役がいた曲輪がありました。

水の手展望台から千曲川の眺め

令和八年一月に訪問した際は、千曲川の西浦ダムの表面が凍結していました。

鹿島神社から見た水の手展望台です。小諸城の西北端に位置します。

酔月橋

酔月橋は地獄谷に架かる橋で、鹿島神社へ向かうことができます。
地獄谷

左側は水の手展望台となります。
荒神井戸

寛保の大洪水の後に掘られた城内唯一の井戸です。
ヤドリギと枝垂桜

懐古園内にはヤドリギや枝垂桜がありました。

小諸城の御城印
御城印は懐古神社の社務所で購入しました。
令和八年購入:小諸城址御城印

令和八年購入:乙女城・御城印

長享元年(1487年)に大井伊賀守光忠は、小諸城の前身である鍋蓋城を築き、
支城として乙女坂(二の丸付近)に天文年間初期に乙女城を築きました。
築城時に南の方角から二羽の鶴が現れて空に輪を描いて舞ったことから、
別名・白鶴城とも呼ばれます。
令和八年購入:酔月城(すいげつじょう)・御城印

小諸城情報
- 住所:長野県小諸市丁311
- アクセス:しなの鉄道・JR小海線小諸駅徒歩約5分
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