【駅印:史跡訪問】富士山駅(富士急行線)と御師(おし)住宅:山梨県富士吉田市

富士急行線富士山駅と御師(おし)屋敷

富士急行線富士山駅

富士山駅ホームからは雪に覆われた富士山が綺麗に見えます。

富士急行線富士山駅は、昭和四年(1929年)富士吉田駅として開業しました。

富士山駅ビル「キュースタ」6階富士山展望デッキになっています。

6階の展望デッキは混雑しておらず、ゆっくりと富士山を眺めることができました。

6階展望デッキからは富士急ハイランドも見えます。

フジサン特急が走っているのも見えました。

富士山駅入口には大きな鳥居がありました。

富士山駅駅印

令和七年十二月訪問時には、駅のご朱印販売されていました。
駅の窓口で購入しました。

令和七年購入:駅印

御師屋敷(おしやしき)

上吉田宿(かみよしだしゅく)と御師(おし)

上吉田宿御師が集住する町で、吉田口(北口)登山道拠点です。
元亀三年(1572年)に東方の「古吉田」と呼ばれる旧地から移転して造られた町で、
移転の際には綿密な町づくりが計画されています。

吉田の御師

御師富士信仰布教する宗教者であり、宿坊の経営者でもありました。
江戸時代には八十六軒あったとされます。

御師の屋敷地の形状は、間口が狭く奥行の長い短冊のような形をしていることが特徴で、
表通りから延びる細長いタツミチ(進入路)の奥に中門を介して主屋を構えています。
御師を訪れる道者は、屋敷内を横断して流れる間の川(ヤーナ川)水で身を清めてから、
主屋に入りました。

御師家最も大きな特徴は、主屋の屋内や屋外に、
富士山の神霊を祀った神殿が設けられていることで、
御師はこの前で道者の安全を祈願しました。

金鳥居(かなどりい)

上吉田宿の入口に立つ金鳥居(かなどりい)は、
上吉田地区国道138号線またいで立っています。

天明八年(1788年)に建てられた後、何回か建て直されましたが、現在の鳥居は、
昭和三十一年(1956年)建てられたものです。
富士山という神の山の鳥居と考えられています。

富士吉田警察署古写真

金鳥居公園の南側にあった富士吉田警察署古写真がありました。

御師旧外川家住宅入口

見学ができる御師旧外川家住宅は、令和七年(2025年)十二月現在
耐震補強工事のため休館中でした。

旧外川家(とがわけ)上吉田地区下町(しもまち)に残る格式ある一軒で、
長いタツミチ(引き込み路)奥に坊を構えています。

中鴈丸家表門(なかがんまるけ)

中雁丸家表門は、江戸時代末から明治時代初め建てられたと考えられます。

現在上吉田の御師住宅には、中雁丸家表門浅間坊表門二棟しか、表門は残っていません

浅間坊表門(せんげんぼう)

浅間坊元亀元年(1570年)にその名を確認できる古い家筋です。

寛政八~九年(1796~97年)門が建立されたと考えられます。

菊谷坊入口(きくやぼう)

武田信虎に従った小沢豊後豊信菊谷坊と称したといわれています。
文政年間(1818~1848年)「菊谷」と改名して現在に至っています。

今でも講社のお世話をし、行衣に牛王を刷ったり先達に行名を授け
登山の直会の場所として解放されています。

御師大国屋入口(だいこくや)

根の神(だいこくさま)の近くに屋敷取りをしたので屋号になりました。

昭和三十六年頃から御師民宿として、観光・合宿など開放されました。

堀端屋入口(ほりばたや)

元亀年間(1570年頃)以前から続くとされる富士山御師の家筋です。

本住宅は、文久・慶応年間竣工したと考えられます。

竹屋入口(たけや)

明治まで小竹屋姓を竹屋国名を肥後名乗っていました。竹屋夏山の二ヶ月間のみ、
吉田口登山道二合目にあった役行者堂(明治初期に廃絶)管理代々任せられていました。

筒屋入口(つつや)

珠洲屋(すずや)ともいわれていました。小沢彦左衛門元亀年間現屋敷に移ってきて、
小沢志摩称しました。

毘沙門屋入口(びしゃもんや)

葬式の行列から火とともにもらった棺桶の中にあった毘沙門天像神棚に飾り
屋号毘沙門屋としました。

御師旧外川家住宅情報

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