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畠山重忠公墓所:畠山重忠公産湯の井戸:畠山重忠公史跡公園
鎌倉幕府有力御家人・畠山重忠
畠山重忠公之像
昭和六十三年に建立されました。源平の一ノ谷合戦の『鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし』で、
畠山重忠が馬を背負っている姿が表現されています。
畠山重忠公之像:碑文
畠山重忠公墓所
畠山重忠公主従の墓として六基の五輪塔があります。
墓所五輪塔
覆屋は昭和五十七年に架設されました。
真ん中の大きな五輪塔が畠山重忠墓と伝わっています。
覆屋架設に伴う発掘調査の結果、墓所の造営は鎌倉時代に始まっており、
墓所及び館跡は室町時代中期以降まで存続していたとみられます。
畠山重忠父:畠山庄司重能(しげよし)の墓
畠山重忠の父・重能(しげよし)の墓は、椎の木の下の自然石であると伝わっています。
畠山重忠公産湯の井戸
畠山重忠は、長寛二年(1164年)に畠山重能と三浦大介義明の娘・眞鶴姫との間に、
二男として生まれました。
井戸には金網がかかっていました。
板石塔婆(いたいしとうば)
記年銘は嘉元二年申辰(1304年)卯月(四月)と彫られています。
嘉元二年は畠山重忠公が二俣川で討死した元久二年(1205年)から百年目にあたり、
百回忌供養のために建立されたものと伝えられます。
重忠公ゆかりの石
畠山重忠公が投げた石と伝えられています。
石の上に物を置いたり腰をかけると、ただちに頭痛などが起きるそうです。
伽羅(きゃら)の木
親木はさいたま市浦和区の常盤公園内にありました。
畠山重忠公が先祖供養のため、秩父にあった一族の墓地に植えたとの伝承があります。
畠山重忠公史跡公園
- 住所:埼玉県深谷市畠山510-2
- アクセス:秩父鉄道永田駅徒歩18分
看板が目印で無料駐車場もあります。
畠山重忠公ゆかりの地
ご覧頂きましてありがとうございます。
畠山氏は坂東八平氏の一つである秩父氏の一族です。
畠山重忠は源頼朝の挙兵の際、最初は平家方として頼朝討伐に参加しましたが、
その後頼朝に帰伏しました。
鎌倉幕府の有力御家人として、『鎌倉武士の鑑』とも称されました。
しかし北条時政の謀略により、北条義時率いる大軍に滅ぼされました(畠山重忠の乱)
享年四十二でした。武勇の誉れ高く、
清廉潔白な人柄から『坂東武士の鑑(かがみ)』と呼ばれました。