運慶作国宝五躯の仏像:願成就院(がんじょうじゅいん)
鎌倉幕府初代執権:北条時政ゆかりの地
北条時政が娘の北条政子の夫である源頼朝の奥州藤原氏討伐の戦勝祈願の為、
建立されました。
北条時政の墓
境内には北条時政の墓がありました。
由緒
文治五年(1189年)に鎌倉幕府初代執権の北条時政が、
娘婿の源頼朝の奥州藤原氏討伐の戦勝を祈願する為建立したといわれています。
北条氏の氏寺として、子の義時、孫の泰時の時代に大伽藍が形成されました。
延徳三年(1491年)に北条早雲による堀越御所攻めで全焼しましたが、
仏像は焼失を免れました。
江戸時代の宝暦三年(1753年)に、
後北条氏の末裔である河内狭山藩六代藩主の北条氏貞により、
現在の遺構が再建されました。
山門
本堂
現在の茅葺の本堂は棟札より寛政元年(1789年)に建立されました。
本堂は北条時政供養の為に、建保三年(1215年)にできた南新御堂の後身堂でした。
本堂の本尊である阿弥陀如来坐像は、北条時政の供養の為に、
息子である鎌倉幕府二代執権の北条義時が建立した、
南御堂本尊の阿弥陀三尊の中尊だといわれています。
大御堂
昭和三十年代にコンクリート造で建立されました。
運慶作の国宝五躯が安置されています。
胎内の銘札から、文治二年(1186年)の制作と分かりましたので、
願成就院の創建前に造られたものという事が判明しました。
国宝五躯の仏像:運慶作
阿弥陀如来坐像・毘沙門天像・不動明王像・矜羯羅童子像(こんがらどうじ)
制吒迦童子像(せいたかどうじ)
国宝ではありませんが、唯一の『北条時政公肖像』などがあります。
大御堂と池
弘法大師像
六地蔵
石造五百羅漢像
自作で五百羅漢像を造ることができるそうです。
色々な顔の五百羅漢像があります。
足利茶々丸の墓
初代堀越公方の足利政知の子として生まれ、
異母弟に室町幕府十一代将軍の足利義澄がいます。
父の死後、一族の内紛を起こして家督を継ぎますが、
明応二年(1493年)に興国寺城にいた北条早雲(伊勢宗瑞)が混乱に乗じ攻め入ると、
願成就院で自刃したといわれています。
元服する前に亡くなった為、幼名の茶々丸のままといわれています。
本堂裏にあります。
国指定史跡:願成就院跡
『南新御堂』や『北塔』などが建立され、
池の周囲に堂や塔が並ぶ『臨池伽藍』と呼ばれる様式の寺院でした。
願成就院のご朱印
平成二十六年拝受:御本尊ご朱印
令和四年拝受:御本尊ご朱印
令和四年拝受:毘沙門天ご朱印
令和四年拝受:不動明王ご朱印
令和四年拝受:『鎌倉殿の十三人』限定ご朱印
寺院情報
- 住所:静岡県伊豆の国市寺家83-1
- アクセス:伊豆箱根鉄道駿豆線韮山駅・伊豆長岡駅徒歩15分
- HP:https://ganjoujuin.jp/index.html
毎週火曜日と水曜日は休館日となります(令和四年八月現在)
休館日の詳細はHPを御確認下さい。
ご覧頂きましてありがとうございます。
伊豆国の豪族で、最初伊豆に流された源頼朝の監視役でしたが、
娘の北条政子が源頼朝の妻となり、平家打倒の挙兵をしました。
鎌倉幕府初代執権となりました。
その後三代将軍の源実朝の暗殺し、
娘婿の平賀朝雅を新将軍に擁立しようとした企み(牧氏の変)が発覚し、
伊豆へ追放されました。建保三年(1215年)に伊豆で亡くなりました。
享年七十八でした。