石川県金沢市:藩校明倫堂鎮守社:金澤神社のご朱印

前田家の先祖・菅原道真公を祀る:金澤神社(かなざわじんじゃ)

由緒

兼六園の中にある金澤神社は、
加賀藩十一代藩主前田治脩(はるなが)が、
藩校明倫堂を建てる際、その鎮守として、
金城霊澤(金沢の名の由来となった泉)のそばに、
創建されました。

明倫堂はその後移転しましたが、
十二代藩主前田斉広(なりなが)が建てた『竹沢御殿』の鎮守社とされました。

一般の人々が参拝できるようになったのは、
兼六園一般公開された明治七年からとなります。

御祭神

御祭神

菅原道真公
白蛇龍神:金運・災難除けの神様
琴平大神:交通の神様
前田斉広(なりなが)公加賀藩第十二代藩主
前田斉泰(なりやす)公加賀藩第十三代藩主

加賀前田家先祖:菅原道真公

加賀前田家の先祖:菅原道真公

御祭神の菅原道真公は加賀前田家の先祖といわれ、
家紋である梅鉢も、道真公愛でた梅にちなんでいます。

神門(随身門)

平成二年老朽化で取り壊されましたが、平成五年復刻竣工されました。

国登録有形文化財:本殿・拝殿

本殿神社創建時建築されました。
平成十六年に国の登録有形文化財に登録されました。

金城霊沢(きんじょうれいたく)

鳥居をくぐった先には『金沢』地名の語源となった、
金城霊沢(きんじょうれいたく)があります。

芋掘藤五郎(いもほりとうごろう)がこの泉で砂金を洗い
『金洗沢(かねあらいのさわ)』と呼ばれていました。

御山神輿

昭和六十年(1985年)御山神輿が創設されました。

大石曳き

文禄元年(1592年)前田利長戸室山から石を切り出し、
金沢城までの約三里(12㎞)の道のりを数百人の人夫を使い、
石を曳いて石垣を築きました。当時を再現した大石曳きが行われています。

手水舎

手水舎の水金城霊沢同じ水源の、
境内の井戸より二十四時間くみあげられているそうです。

日本百名水として知られる富山県上市町『穴の谷の霊水』と似かよった成分で、
水質試験で飲料水に適している検査を受けているそうです。

鳳凰山(ほうおうざん)

全国の奇石を集めて、鳳凰が舞い降りる姿に造られていたそうです。

夢牛

板屋神社遥拝所

板屋神社寛永八年(1631年)犀川上流から金沢城内辰巳用水を導水した、
板屋兵四郎の徳を偲び建立されました。

御本社辰巳用水取り入口を見下ろす金沢市上辰巳町丘上鎮座されています。

白阿紫稲荷神社

十三代藩主前田斉泰公が奉斎され、
春秋の例祭には一般の婦女子参拝も許されたそうです。

明治時代東京前田邸に移されましたが、崇敬する旧藩士などの懇請により、
再びこの地に祀られたそうです。

放生池と奉納稲荷鳥居

放生池の先には、平成二十年前田家鎌倉邸より、
稲荷社御分霊とともに移築奉納された鳥居があります。
前田家に慶事があるごとに奉納された縁起の良い鳥居だそうです。

北条時敬(ほうじょうときゆき)頌徳碑

北条時敬金沢が生んだ偉大な教育家で、
第四高等学校・広島高師・東北大学・学習院長を歴任し、
宮中顧問官・貴族院議員となります。

金澤神社の御朱印

平成二十五年拝受:ご朱印

令和四年拝受:ご朱印

『金』の部分に金粉が使われていました。
またご朱印と合わせて栞も頂きました。

神社情報

  • 住所:石川県金沢市兼六町1-3
  • アクセス:JR金沢駅から車で10分

金澤神社周辺

辰巳用水(たつみようすい)

辰巳用水寛永八年(1631年)金沢城一部焼失を機に、
城及び城下町防火城内の水を確保する為、翌年から開削工事が始められたそうです。

板屋兵四郎総責任者となり、約一年の突貫工事で概容が造られました。
日本最古のサイフォン管路を備えた用水だそうです。

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