日光街道・奥州街道御宿場印:小金井宿(こがねいしゅく)
日光街道御宿場印(ごしゅくばいん)
日光街道は日本橋から日光まで約140キロメートルにわたる街道です。
五街道の一つで、歴史ある古刹・名刹が多く、終点には日光東照宮があります。
江戸時代には将軍や大名が日光街道を通って参詣していました。


御宿場印帳は千住宿の「お休み処千住街の駅」で購入しました。
奥州街道御宿場印(ごしゅくばいん)
日光街道御宿場印と同様、地域活性化プロジェクトとして、
令和五年(2023年)より『御宿場印(ごしゅくばいん)』の発売が開始されました。
奥州街道御宿場印めぐり:https://www.adachiseiwa.co.jp/csr/goshukuba/oushu/
奥州街道は江戸幕府が定めた五街道の一つで、江戸から東北に至る日本最長の街道です。
宇都宮以南は日光街道と重複しています。


御宿場印帳は千住宿の「お休み処千住街の駅」で購入しました。
小金井宿
小金井宿は江戸日本橋から数えて十四番目の宿場です。
宿場の西側で黄金が取れたことから金井村と呼ばれました。
宿場が移転する際、金井村から「小」の字が付き、
小金井(こがねい)と呼ばれるようになりました。
本陣が1軒、脇本陣は1軒設けられ、旅籠が四十三軒ありました。
JR小金井駅

JR小金井駅前の下野市観光案内所「オアシスポッポ館」のレンタサイクルを利用し、
周辺を散策しました。

JR小金井駅構内には下野市観光大使のカンピくんが展示されていました。

特産品であるかんぴょうの原料である瓢(ふくべ)をモチーフにしたキャラクターです。

小金井宿本陣跡(下野市小金井1丁目)

黒門と大谷石の塀が残っていました。金井神社の近くです。

国道四号線沿いにあります。
国指定史跡:小金井一里塚(こがねいいちりづか)(下野市小金井4-23-9)

小金井一里塚は江戸日本橋から二十二里(約86.4㎞)の地点であることを示しています。

塚は五間四方四角形に置かれ、榎が植えられましたが、今ではすっかり変形して丸塚になり、
何代目かの榎と、いつの時代に生えたのか、エノキとクヌギの巨木が同居しています。

日光街道は江戸幕府が慶長九年(1604年)に整備に着手して、
明治十七年(1884年)に栃木県令三島通庸(みしまみちつね)が今の国道四号線を作るまで、
約二百八十年の間使われていました。

平成九年度に発掘調査が実施され、砂利敷道路が発見され、
二つの塚の間に復元表示されました。

小金井一里塚のように2つの塚が壊されずに残っているのは、全国的にも稀です、
日光街道・奥州街道小金井宿:御宿場印
令和七年購入:日光街道小金井宿:御宿場印

令和七年購入:奥州街道小金井宿:御宿場印

宿場情報
- 住所:栃木県下野市小金井3009-12
- アクセス:JR小金井駅西口すぐ
- HP:https://www.tochigiji.or.jp/spot/s8538(下野市観光案内所オアシスポッポ館)
小金井宿周辺
JR小金井駅前:C57蒸気機関車動輪

JR小金井駅西口駅前に、C57蒸気機関車の動輪が展示されていました。

日酸公園(にっさんこうえん)(下野市小金井5-22-1)

日光街道近くの日酸公園には、国鉄の救援車である、
「救援制御電動自動車クモエ21001号」が展示されていました。

クモエ21型の主な仕事は他の電車が踏切事故や故障などで動けなくなった時、
現場に救護にかけつける役割がありました。

昭和二年に完成し、昭和六十一年に引退しました。現在残っている唯一の車両です。

展示車両の周辺には、遊具などもあります。

ご覧頂きましてありがとうございます。
令和三年(2021年)に地域経済活性化プロジェクトとして、
日光街道及び松尾芭蕉が辿った日光西街道を来訪した証しに、
『御宿場印(ごしゅくばいん)』が販売されました。
日光街道・日光西街道御宿場印めぐり:https://www.adachiseiwa.co.jp/csr/goshukuba/