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鎌倉幕府三代将軍:源実朝ゆかりの地:源実朝公御首塚(みなもとのさねともこうみしるしづか)
鎌倉幕府三代将軍:源実朝(みなもとのさねとも)
由緒
建保七年(1219年)に源実朝を討ち取った公暁は、
三浦氏の家来である武常晴らによって討ち取られました。
実朝の首は武常晴によってこの地に持ち込まれ、
退耕行勇を導師として、手厚く葬られたと伝えられています。
退耕行勇は鎌倉の浄妙寺の開山です。
御首塚外観
建立当初は木造でしたが、建長二年(1250年)に波多野忠綱が金剛寺を再興した際、
石造に変えられたといわれています。
木造の五輪塔は現在、鎌倉国宝館に展示されています。
指定当時(昭和四十六年)と現在
昭和四十六年七月に秦野市指定史跡となります。
波多野金塊植物苑
御首塚は波多野金塊植物苑が併設されています。
金塊和歌集を編纂した源実朝にちなんでか、俳句ポストがありました。
源実朝歌碑
源実朝の歌碑がありました。
『ものいはぬ 四方のけだもの すらだにも あはれなるかなや 親の子をおもふ』
近代の歌人である佐佐木信綱の揮毫(きごう)によるものです。
田原ふるさと公園
御首塚には田原ふるさと公園が併設されています。
農産物の直売所やお蕎麦屋さんがありました。
水車小屋で石臼製粉した手打ちそばを頂くことができます。
実朝漬
お土産に実朝漬を購入しました。醬油漬でご飯がすすんで、とても美味でした。
源実朝の句もありました。
東田原中丸遺跡
御首塚の周辺は東田原中丸遺跡として、
中世(十二世紀末~十三世紀中頃)の館に関わると思われる遺構が検出されました。
かわらけや貿易陶磁器、国産陶磁器が出土し、
鎌倉幕府の御家人であった波多野氏との関係が指摘されています。
周辺は水田が広がり、建物群が造られていました。
周辺は現在も水田に囲まれていて、当時の様子がうかがえます。
玉縄桜
玉縄桜は昭和四十四年に神奈川県立フラワーセンター大船植物園で誕生しました。
第二十二回実朝まつりを記念して植樹されました。
田原ふるさと公園情報
- 住所:神奈川県秦野市東田原999
- アクセス:小田急秦野駅下車神奈川中央交通バス中庭バス停下車徒歩1分
源実朝公御首塚周辺
東田原神社
源実朝公御首塚から歩いて五分のところに東田原神社があります。
拝殿は江戸時代の貞享五年(1688年)に造られた観音堂を改造したものです。
本殿は明治三十年(1879年)に建立されたものです。
御祭神は倭建命(ヤマトタケルノミコト)と誉田別命(ホンダワケノミコト)です。
東田原神社住所
- 住所:神奈川県秦野市東田原576
- アクセス:小田急秦野駅下車神奈川中央交通バス東田原神社前下車すぐ
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源頼朝の次男として生まれ、鎌倉幕府二代将軍の兄・頼家が追放されると、
十二歳で三代将軍に就きました。
『金槐和歌集(きんかいわかしゅう)』を編纂するなど、
歌人としての才能も発揮しましたが、
建保七年(1219年)十二月、右大臣拝賀のために参詣した鶴岡八幡宮にて、
頼家の次男の公暁(くぎょう・こうぎょう)により殺害されました。
享年二十八でした。