Contents
結城家十六代墓所慈眼院と松月院(しょうげついん)
由緒
かつてこの地は、福聚山慈眼院という曹洞宗寺院の境内で、結城氏歴代の御廟でした。
戦国時代の結城家十六代の政勝は、
鎌倉時代からの名門結城家の将来を託した嫡子・明朝に先立たれ、
世の無常を感じてか出家し、自ら大雲藤長と名乗り有髪の僧となり、
天文二十二年(1553年)に慈眼院を創建しました。

御廟成立の時期
御廟成立の時期としては、いくつかの説があります。
十六代結城政勝が隠居後、各所にあった先祖の墓を移して、惣御廟を築造した。
十八代結城秀康が、越前に転封するにあたり、
結城家に関わる諸寺院を越前に移転するに際し、
各寺院等の歴代の墓を移して、御廟を築造した。
十八代結城秀康が転封後、この地方を治めた代官の伊奈備前守忠次が、
領民懐柔策の一環として、結城氏歴代の御廟を築造した。
松月院・慈眼院結城家御廟入口案内

道路沿いに案内看板があります。
慈眼院結城家御廟入口

住宅街を進むと、畑の前に看板がありました。大谷瀬町集会所のそばに御廟があります。
慈眼院結城家御廟

御廟は、周囲に堀を構え、塚状に土を盛り、土塁を廻らし、床面には大谷石を敷き詰め、
さらに塚全体に玉石を並べるなど、排水に最新の注意が施されています。


周囲には石碑や霊誌がありました。

八尺堂

慈眼院八尺観音堂と書かれています。
慈眼院結城家御廟情報
- 住所:茨城県結城市結城2709
- アクセス:JR結城駅より徒歩約30分

バスなどの公共交通機関が無かったため、
駅前の観光物産センターでレンタサイクルを利用しました。
松月院(しょうげついん)
松月院(しょうげついん)

慈眼院結城家御廟のそばに、松月院があります。
由緒
松月院は結城家十七代結城晴朝が開基で、正室の松月院の菩提を弔うため、
戦国時代に開基しました。

慶長六年(1601年)に結城秀康の代に越前六十七万石に国替えとなった際は、
結城晴朝もこれに従い越前国に移り、焼香料等を納め、
結城家祖先と松月院殿の供養を依頼しています。
本堂

松月院情報
- 住所:茨城県結城市小塙2716
- アクセス:JR結城駅より徒歩約30分
ご覧頂きましてありがとうございます。