幕末の思想家・佐久間象山(さくましょうざん):象山神社(ぞうざんじんじゃ)

佐久間象山(さくましょうざん・ぞうざん)

佐久間象山馬上銅像

鳥居の前には御祭神の佐久間象山の馬上銅像がありました。
由緒
大正二年(1913年)に佐久間象山殉難五十年祭を機に、
地元松代町出身の大審院長・横田秀雄を中心に神社建立が計画され、
昭和十三年(1938年)に創建されました。
社地は旧佐久間象山邸で、境内には松代町内や京都よりゆかりの建物が移築されました。
鳥居

国指定登録有形文化財:社殿

本殿と拝殿は、国の登録有形文化財に指定されています。

桜賦(おうふ)

桜賦は、万延元年(1860年)の春、佐久間象山五十歳の時の作です。
望岳賦(ぼうがくふ)

望岳賦は天保十二年(1841年)夏、佐久間象山三十一歳の時の作といわれ、
桜賦と並ぶ名作です。東京都杉並区高円寺の修道院内にあることが判明し、
昭和四十八年に移築されました。

省諐録(せいけんろく)

高義亭(こうぎてい)

境内にある高義亭は、佐久間象山が吉田松陰の下田踏海事件で蟄居となり、
屋敷の一角の客間に当てていました。

高義亭への来訪者のレリーフもありました。

左より久坂玄瑞、高杉晋作、中岡慎太郎になります。

昭和五十三年(1978年)に移築された際、当時の構造に復原されました。
維新の志士銅像

境内には平成三十年に奉納されました『維新の志士』の銅像が建っていました。
左側が信濃松代藩第八代藩主真田幸貫(ゆきつら)、右側は佐久間象山です。

左側が吉田松陰で、右側は小林彦三郎です。

左より橋本左内、坂本龍馬、勝海舟の銅像です。

維新の志士銅像の全景となります。


象山先生誕生地・入口看板

令和五年参拝時には、工事中のようで、見学はできませんでした。
御神木

象山神社のご朱印
平成二十一年拝受:ご朱印

令和五年拝受:ご朱印

神社情報
- 住所:長野県長野市松代町松代1502
- アクセス:上信越自動車道長野ICより車で約5分
- HP:https://www.zozan.jp/
上信越自動車道松代PA:真田十万石の城下町「松代(まつしろ)」
上信越自動車道松代PAには、松代の史跡、文化財の案内看板がありました。

松代は真田信之が上田六万石から松代十万石に転封されてから、
十代250年間続いた城下町です。
ご覧頂きましてありがとうございます。
松代藩士佐久間一学の長男として、文化八年(1811年)に生まれました。
六歳の時から父や鎌原桐山、活文禅師などから学問・武術を習い、
二十歳で詩文・経書・武術等免許される程の秀才でした。
松代藩主の真田幸貫が老中で海防掛の時、『海防八策』を幕府に上申しました。
四十一歳の時に江戸木挽町に塾を開き、勝海舟・坂本龍馬・吉田松陰・橋本左内など、
維新の英才を輩出しました。
吉田松陰密航事件に連座し、投獄され、九年間松代に蟄居となった際も、
高杉晋作・久坂玄瑞・中岡慎太郎らが面会に訪れ、象山の博識に感激したそうです。
元治元年(1864年)に一橋慶喜の招きで上洛し、慶喜に公武合体論と開国論を説きました。
尊王攘夷派の志士が拠点となっていた京都に行くことは危険なことであり、
7月11日に三条木屋町で前田伊右衛門、河上彦斎らに暗殺されました。
享年五十四でした。