長野県長野市:御祭神・佐久間象山:象山神社(ぞうざんじんじゃ)のご朱印

幕末の思想家・佐久間象山(さくましょうざん):象山神社(ぞうざんじんじゃ)

佐久間象山(さくましょうざん・ぞうざん)

佐久間象山

松代藩士佐久間一学長男として、文化八年(1811年)生まれました。
六歳の時から鎌原桐山、活文禅師などから学問・武術を習い
二十歳詩文・経書・武術等免許される程の秀才でした。

松代藩主真田幸貫老中海防掛の時、『海防八策』幕府に上申しました。

四十一歳の時に江戸木挽町塾を開き勝海舟・坂本龍馬・吉田松陰・橋本左内など、
維新の英才を輩出しました。

吉田松陰密航事件連座し、投獄され、九年間松代に蟄居となった際も、
高杉晋作・久坂玄瑞・中岡慎太郎らが面会に訪れ象山の博識に感激したそうです。

元治元年(1864年)一橋慶喜の招きで上洛し、慶喜公武合体論と開国論を説きました。
尊王攘夷派志士が拠点となっていた京都に行くことは危険なことであり、
7月11日三条木屋町前田伊右衛門、河上彦斎らに暗殺されました。
享年五十四でした。

佐久間象山馬上銅像

鳥居の前には御祭神佐久間象山馬上銅像がありました。

由緒

大正二年(1913年)佐久間象山殉難五十年祭を機に、
地元松代町出身大審院長・横田秀雄を中心に神社建立が計画され、
昭和十三年(1938年)創建されました。

社地旧佐久間象山邸で、境内には松代町内京都よりゆかりの建物が移築されました。

鳥居

国指定登録有形文化財:社殿

本殿拝殿は、国の登録有形文化財指定されています。

桜賦(おうふ)

桜賦は、万延元年(1860年)の春佐久間象山五十歳の時の作です。

望岳賦(ぼうがくふ)

望岳賦天保十二年(1841年)夏佐久間象山三十一歳の時の作といわれ、
桜賦と並ぶ名作です。東京都杉並区高円寺修道院内にあることが判明し、
昭和四十八年移築されました。

省諐録(せいけんろく)

高義亭(こうぎてい)

境内にある高義亭は、佐久間象山吉田松陰下田踏海事件蟄居となり、
屋敷の一角の客間に当てていました。

高義亭への来訪者のレリーフもありました。

左より久坂玄瑞、高杉晋作、中岡慎太郎になります。

昭和五十三年(1978年)移築された際、当時の構造に復原されました。

維新の志士銅像

境内には平成三十年に奉納されました『維新の志士』の銅像が建っていました。
左側信濃松代藩第八代藩主真田幸貫(ゆきつら)右側佐久間象山です。

左側吉田松陰で、右側小林彦三郎です。

左より橋本左内、坂本龍馬、勝海舟銅像です。

維新の志士銅像の全景となります。

象山先生誕生地・入口看板

令和五年参拝時には、工事中のようで、見学はできませんでした。

御神木

象山神社のご朱印

平成二十一年拝受:ご朱印

令和五年拝受:ご朱印

神社情報

  • 住所:長野県長野市松代町松代1502
  • アクセス:上信越自動車道長野ICより車で約5分
  • HP:https://www.zozan.jp/

上信越自動車道松代PA:真田十万石の城下町「松代(まつしろ)」

上信越自動車道松代PAには、松代の史跡、文化財の案内看板がありました。

松代真田信之上田六万石から松代十万石転封されてから、
十代250年間続いた城下町です。

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