【史跡訪問】神奈川県鎌倉市:化粧坂(けわいざか)と源氏山公園

鎌倉七口:化粧坂(けわいざか)と源氏山公園(げんじやまこうえん)

鎌倉七口(かまくらななくち)

鎌倉七口(かまくらななくち)

鎌倉への陸路での入口を指します。
鎌倉は三方を山に囲まれて人や物資の行き来が不便な為、
山を切り開いて道を作りました。

①極楽寺坂切通(ごくらくじざかきりどおし):極楽寺から由比ヶ浜方面を結ぶ道です。

②大仏切通(だいぶつきりどおし
):長谷常盤深沢地域を結ぶ道です。

③化粧坂切通(けわいざかきりどおり):扇ヶ谷から源氏山公園を結ぶ道です。

④亀ヶ谷坂切通(かめがやつさかきりどおし
):扇ヶ谷から山之内(北鎌倉)を結ぶ道です。

⑤巨福呂坂切通(こぶくろざか):鶴岡八幡宮裏手
雪の下から、
               山之内(北鎌倉)を結ぶ道です。

朝夷奈切通(あさいなきりどおし):鎌倉
六浦(横浜市金沢区)を結ぶ道です。

⑦名越切通(なごえきりどおし)鎌倉から三浦半島方面を通じ安房と結ぶ道です。

化粧坂(けわいざか)鎌倉の交通の要衝であり、
元弘三年(1333年)新田義貞鎌倉攻めでも戦場となりましたが、
新田軍化粧坂突破できませんでした。

化粧坂(海蔵寺周辺)

寿福寺を更に歩くと、
住宅街の中に化粧坂源氏山公園へ向かう案内板があります。

海蔵寺参拝の帰りに源氏山公園に向けて立ち寄ってみました。
住宅街の中をひたすら坂を上ります。

景清の土牢

化粧坂を入るとすぐに道が二手に分かれたところに『景清の土牢』があります。

景清とは平景清(藤原景清)のことで、平家に仕えて源平合戦で活躍しました。
建久六年(1195年)源頼朝東大寺大仏殿落慶法要参列した際、
東大寺転害門平家の残党とともに隠れ、頼朝の暗殺を狙いましたが、
見破られ捕らえられました。

捕らえられた景清は、鎌倉幕府有力御家人のひとり、
八田知家(はったともいえ)に預けられましたが、
自ら化粧坂の洞窟に入り、建久七年(1196年)絶食して亡くなったといわれています。

『水鑑景清大居士』と書かれた景清の墓碑がありました。

景清の墓碑の下には『向陽庵大悲堂碑』があります。
景清の人丸景清の守り本尊を祀った向陽庵土牢の上にあったそうです。

人丸の墓安養院にあります。

化粧坂途中

住宅街をしばらく歩くと、急に足場が悪くなってきました。

自然豊かですが運動不足の身には堪えます・・・。

化粧坂から源氏山公園

険しい坂からアスファルト舗装された道が見えてきました・・・。

改めて化粧坂を振り返りました。結構な坂道でした。

源氏山公園

『源氏山』という名は源氏の屋敷があったからだといわれています。

後三年の役源義家が出陣する際、山上に『源氏の白旗』を立てて戦勝を祈ったことから、
『旗立山』の別名があります。

公園としては昭和四十一年開園しました。トイレなどの設備も完備されています。

源氏山公園北側葛原岡と呼ばれ、日野俊基を祀った葛原岡神社があります。
また公園の南側から銭洗弁財天宇賀福神社への道もあります。

源頼朝像と銅像碑

昭和五十五年(1980年)源頼朝鎌倉入り八百年記念して、
源頼朝像建立されました。

源氏山公園からの景色

野鳥の声が疲れを癒してくれました。

源氏山公園情報

  • 住所:神奈川県鎌倉市扇ガ谷4-649-1
  • アクセス:JR鎌倉駅西口下車徒歩25分

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