牧之郷:金剛寺跡:加藤景廉(かとうかげかど)一族の墓所
鎌倉幕府有力御家人:加藤景廉(かとうかげかど)
伊豆には山木兼隆が討たれた地に香山寺があり、供養塔が立てられています。
長男の景朝が領地の岩村城(岐阜県恵那市)を本拠地として遠山氏を名乗り、
分家の明知遠山氏は江戸幕府の旗本となりました。
子孫には“遠山の金さん”でおなじみの遠山景元がいます。
建仁三年(1203年)に鎌倉幕府執権の北条義時の命令により、
謀反の疑いのあった御家人の仁田忠常(にったただつね)を討ち取りました。
加藤景廉一族の墓所
伊豆箱根鉄道駿豆線沿いに一族の墓所があります。周囲は田んぼに囲まれていますが、
かつて金剛寺という寺があったそうです。
五輪塔は狩野川台風(昭和三十三年)によって流され、散乱したものをここに集め、
流失部分を補完して祀ったものだそうです。
伊豆箱根鉄道駿豆線の牧之郷駅と大仁駅間の線路沿いにあります。
墓所情報
- 住所:静岡県伊豆市牧之郷53−35
- アクセス:伊豆箱根鉄道駿豆線牧之郷駅徒歩約9分
参拝時は車で訪問しました。
県道熱海大仁線からドラッグストアのクリエイトSD伊豆牧之郷店を目印にすると、
墓所案内の看板がありました。
ご覧頂きましてありがとうございます。
加藤氏は元々伊勢国を本拠地としていましたが、平氏との争いの際、
父・景員に従って伊豆国に下り、工藤茂光らの協力を得て土着勢力になりました。
治承四年(1180年)の源頼朝の平氏打倒の挙兵に参加し、
平氏の目代であった山木兼隆を討ち取りました。
その後源範頼に従い、瀬戸内海で平氏を討ち、奥州藤原氏討伐にも従いました。
頼朝に側近として仕え、鎌倉幕府の宿老のひとりとして、
承久三年(1221年)に亡くなりました。享年六十六でした。