善光寺十四坊の本山:善光寺大本願(だいほんがん)
由緒
善光寺が創建された際、大臣蘇我馬子の姫君を、
天皇の御杖代(みつえしろ:杖代わりとなって奉仕する者)として遣わされたのが、
大本願の起こりです。この時の姫君が開基の尊光上人です。
大本願は代々尼公上人が善光寺上人として、伝統が継承されてきました。
現在は第百二十一世の鷹司誓玉上人です。
伏見宮邦家親王の第三王女は大本願の百十七世誓円上人です。
境内案内図
唐門
本誓殿
平成八年に総桧造りの本堂として再建されました。
正面向拝の扁額『本誓殿』は久邇宮朝彦親王の御筆で、
内部の扁額『大本願』は小松宮彰仁親王の御筆です。
表書院
表門の正面に位置し、尼公上人が本堂へお上りなど公式行事に使われる玄関となっています。
文殊堂
善光寺上人第百二十世一條智光台下が、青少年の健全育成と、
あまねく人々の幸せを願って、文殊菩薩と普賢菩薩がお祀りされました。
平成元年に落慶されました。
松尾芭蕉句碑
『月影や四門四宗も只一つ』
松尾芭蕉が、元禄元年(1688年)に善光寺を詣でた際に作られました。
仏法は四門四宗と分かれていても、澄みきった月のように帰するところは一つであると、
詠われています。句碑は昭和六十三年に建てられました。
正派発祥の地
正派は箏曲(そうきょく:お琴)の流派のひとつです。
大正二年に善光寺上人大宮智栄大僧正より『正派』の会名を賜りました。
大本願のお地蔵さま
本理院殿地蔵
関白鷹司信房の二女である孝子は、江戸幕府三代将軍徳川家光の御台所に迎えられました。
家光没後は本理院殿と称し、死後遺骨の一部は善光寺の霊屋に納められましたが、
災害で焼失し、天保三年(1832年)に大奥十八名の女性が、供養の為に地蔵を奉建しました。
水子地蔵
子育地蔵尊
やすらぎ地蔵尊
ひとにぎり地蔵尊
平成二十四年に建立されました。
善光寺大本願のご朱印
平成二十一年拝受:善光寺如来:ご朱印
令和四年拝受:善光寺如来:ご朱印
ご朱印左上の『小鹿参上』の印は、
令和3年5月26日に、大本願に小鹿が現れたことによるものです。
鹿は古来より神の使いと言われています。
善光寺大本願:御詠歌
文殊菩薩:ご朱印
善光寺大本願:授与品
ご朱印を頂いた際、授与品として散華を頂きました。
ご朱印帳袋
大本願ではご朱印帳袋を購入しました。花結び(飾り結び)が特徴的です。
善光寺大本願情報
- 住所:長野市元善町500
- アクセス:JR長野駅下車。『善光寺大門』バス停下車
- HP:https://daihongan.or.jp/
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