隅田川七福神めぐりの寺社や牛嶋神社・浅草寺・浅草神社周辺の史跡をまとめてみました
周辺の寺社
隅田川七福神めぐり
隅田川七福神めぐり公式HP:https://www.sumidagawashichifukujin.com/
向島百花園・長命寺・白髭神社は1月1日~7日までの期間内に、
七福神めぐりのご朱印を頂けます。その他の寺社は通年ご朱印を頂けます。
牛嶋神社
江戸時代は鬼門守護の神社として将軍家の崇敬篤く、
江戸幕府三代将軍の徳川家光より本所石原新町の土地の寄進を受けました。
関東大震災で罹災し、昭和のはじめに水戸徳川家小梅邸跡に再建されました。
浅草寺(せんそうじ)
雷門で有名な浅草を代表する寺院です。
浅草神社
三社祭(さんじゃまつり)は浅草神社の祭礼です。
水戸徳川家小梅邸跡(隅田公園)と明治天皇行幸
江戸時代には隅田公園には水戸徳川家の蔵屋敷があり、
上屋敷の小石川邸(外庭は小石川後楽園)が明治時代初めに砲兵工廠となったため、
小梅邸が本邸(当主・徳川昭武:徳川慶喜弟)となりました。
明治八年(1875年)に明治天皇が小梅邸に行幸されました。
これは徳川屋敷への最初の行幸で、明治政府と徳川家の和解の場でした。
以後五回行幸されました。
隅田公園の昔の姿
隅田公園は関東大震災後の帝都復興事業の一環で整備されており、
小梅邸跡に日本庭園が整備されました。
現在は隅田公園第2期再整備工事が行われています。
令和六年正月現在は、ひょうたん池は整備工事中でした、
隅田公園から見た東京スカイツリー
隅田公園からは東京スカイツリーがきれいに見えました。
隅田公園のそばには東武伊勢崎線が走っています。
枕橋(まくらばし)
枕橋は北十間川にかかる橋です。東武伊勢崎線の線路があります。
東京スカイツリーも綺麗に見えます。
隅田公園側から枕橋を渡ると、アサヒグループ本社ビルや吾妻橋があります。
勝海舟像(墨田区役所そば)
墨田区役所のそばに勝海舟の銅像がありました。
像の高さは約2.5メートルで、台座の高さと合わせると約5.5メートルです。
平成十五年に建立されました。
勝海舟は江戸時代末期の幕臣で、官軍の西郷隆盛との交渉による、
江戸城無血開城を成し遂げたことでも有名です。
吾妻橋(あづまばし)
吾妻橋の西側には、浅草寺の雷門があり、浅草観光の中心地となります。
現在の橋は昭和六年(1931年)に架けられました。
安永三年(1774年)に架橋されました。
両国橋・新大橋・永代橋に続いて隅田川に架けられた四番目の橋です。
あづま地蔵尊
吾妻橋の東側のたもとにあります。
関東大震災の水難殉難者の霊を祀り、交通安全が祈願されています。
東武伊勢崎線の車両
隅田川を渡る東武伊勢崎線の鉄橋には、東武鉄道の様々な車両が渡っていました。
上は館林・足利・太田方面をつなぐ特急『りょうもう号』です。
令和五年七月に浅草から日光・鬼怒川方面を結ぶ新型特急として登場した、
『スペーシアX(エックス)』も走っていました。
駒形橋(こまがたばし)
駒形橋は昭和二年(1927年)に関東大震災後の復興計画により、はじめて架橋されました。
それまでは「駒形の渡し」という渡し舟がありました。
駒形(こまかた)の名は、橋のたもとにある浅草寺駒形堂に由来します。
土地の人々によると“コマカタ”と清く発音するそうですが、
橋の名は駒形橋(“コマガタ”バシ)と呼ばれています。
駒形橋に西側にあります。朱雀天皇の天慶五年(942年)に平公雅により創建されました。
駒形橋の西側には、御柱のアートが展示されていました。
駒形橋から見る東京スカイツリーとアサヒグループ本社ビル
駒形橋からは多くの観光客が撮影していました。
アサヒグループ本社ビルの金色のビルとオブジェ、
東京スカイツリーと遊覧船が一枚に収まりました。
アサヒグループ本社ビル
奥の金色のビルはアサヒグループ本社ビルです。
ビル全体は、なみなみとビールが注がれたジョッキで、
ビルの頭頂部はビールの泡がイメージされているそうです。
真ん中の金色のオブジェのある特徴的なビルは、アサヒグループホール棟で、
フランス人のフィリップ・スタルク氏のデザインです。
オブジェは『フラムドール(金の炎)』という名前で、
「新世紀に向けて躍進するアサヒビールの燃える心の炎」がイメージされているそうです。
ランチ:美味坊
駒形橋から上野方面に歩いたところにある中華料理店の『美味坊』頂いた、
レタスチャーハンが美味しかったです。
ご覧頂きましてありがとうございます。