東京都墨田区:隅田川七福神めぐり・福禄寿尊:向島百花園のご朱印

国指定名勝・史跡:四季百花の乱れ咲く園:向島百花園(むこうじまひゃっかえん)

東武伊勢崎線東向島駅より明治通りを渡って、児童遊園のほうへ歩きます。

隅田川七福神めぐり

隅田川七福神めぐり

隅田川七福神は、向島百花園園主である佐原鞠塢(さはらきくう)や、
向島百花園に集う江戸後期の文人たちによって選ばれました。
庶民の間に流行させたのは、明治三十一年(1898年)頃に結成された隅田川七福会でした。
明治三十二年(1899年)七福会によって、
途絶えていた隅田川七福神参り再開されました。

布袋尊:弘福寺(ぐふくじ)
弁財天:向島長命寺(ちょうめいじ)
福禄寿尊:向島百花園
毘沙門天:墨田多聞寺(たもんじ)
寿老人:白髭神社(しらひげじんじゃ)

恵比寿神・大国神:三囲神社(みめぐりじんじゃ)

隅田川七福神めぐり公式HP:https://www.sumidagawashichifukujin.com/
向島百花園・向島長命寺・白髭神社は、
1月1日~7日までの期間、七福神のご朱印を頂けます。

隅田川七福神めぐり・福禄寿尊

1月1日~7日までの期間のみご朱印を頂く事ができます。

年末12月28日の訪問時には、係の方が福禄寿尊堂の清掃をされていました。

由緒

江戸時代文化・文政期(1804年~1830年)骨董商を営んでいた佐原鞠塢(きくう)が、
交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て、花の咲く草木鑑賞を中心とした花園として、
開園されました。

『百花園』とは「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたとされます。
唯一現代に残る江戸時代の花園です。

昭和十三年(1938年)永久保存のため、所有者から東京市に寄付され、
翌十四年(1939年)に東京市が有料で公開を開始しました。

明治四十三年(1910年)隅田川大洪水による浸水や、
昭和二十年(1945年)東京大空襲による全焼という二度の大きな被害を受けましたが、
昭和二十四年(1949年)東京都により現在の姿へ復興しました。

向島百花園出入口

庭門

園内

園内は広く、花の棚竹林などがありました。

春の七草

春の七草は、食べて無病息災を願うという風習があります。

献上七草籠

七草籠は、開園当初の文化四年より、
園主が年末に籠に設えた春の七草を、お得意様お歳暮として届けていました。

明治期には九條家(後の大正天皇皇后の生家)にも献上し、
妃殿下となられた後には七草籠宮中にお届けするようになり、
これを契機に百花園は宮中へ献上するのが習わしとなっています。

山上憶良・秋の七草の歌碑

東京市碑

日本橋石柱

石橋時代の日本橋の石柱の模造品で、徳川慶喜文字と伝えられます。

萩のトンネル

ハギ竹で編んだトンネルに沿わせて仕立てたもので、
九月下旬には花のトンネルになります。

芝金顕彰碑

きょうげん塚

明治時代狂言作者古河黙阿弥を偲んで、狂言塚が建てられました。

しのぶ塚

桑の茶屋

かつて上野の博覧会で使用した二階建ての建物があり、
桑の木で作られていたことから、『桑の茶屋』と呼ばれていました。

昭和二十年(1945年)三月東京大空襲壊滅的な打撃を受け、取り壊されました。

桑の茶屋跡から見た、池と東京スカイツリーの景色が見事です。
園内の一番高い場所からの眺めです。

御成座敷と茶筅塚

御成座敷には桑の茶屋で使われていた欄間(らんま)が残っています。

梅洞水

広場のそばには梅洞水と呼ばれる井戸がありました。

向島百花園のご朱印

隅田川七福神めぐり・福禄寿尊:ご朱印

向島百花園情報

向島百花園周辺

東武博物館

東武伊勢崎東向島駅を降りるとすぐに、東武鉄道の車両展示されていました。
平成元年(1989年)にオープンしました東武鉄道の電車やバスの博物館です。
東武博物館https://www.tobu.co.jp/museum/

平成三年に引退するまで東武鉄道の看板特急であった、
1720系デラックスロマンスカーが展示されていました。

昭和四十三年(1968年)まで日光~馬坂間を営業した、
日光軌道路面電車『日光軌道203号』です。

ここから約七分で向島百花園へ着きます。

ご覧頂きましてありがとうございます。