【史跡訪問】神奈川県足柄下郡真鶴町:源頼朝ゆかりの地:源頼朝船出の浜の合戦場印

岩海岸:源頼朝船出の浜

鎌倉幕府初代将軍・源頼朝ゆかりの地

源頼朝

清和源氏の嫡流である河内源氏源義朝三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、
北条政子との婚姻を期に、平家打倒に挙兵しました。
その後鎌倉幕府初代将軍となりました。
これにより東国独立した武家政権が開かれました。
建久九年(1198年)相模川橋供養の帰りに体調不良からの落馬が原因で、
五十二歳亡くなりました。

再起を図る船出の場所

現在の神奈川県小田原市にある石橋山古戦場は、
かつて平家打倒の挙兵をした源頼朝石橋山300余騎を従え、
平家方大庭景親(おおばかげちか)の軍勢3,000余騎と、
後方に伊東祐親300余騎と戦いましたが、破れた地でした。

頼朝箱根山中に逃れた後、従者とともに七名で、
真鶴から海路安房国(千葉県)へ向かいました。
頼朝一行が上陸した場所が、現在の千葉県安房郡鋸南町(きょうなんちょう)といわれています。

七名とは、源頼朝・土肥実平・土肥遠平(土肥実平嫡男)・土屋宗遠(土肥実平弟)・岡崎義実、
新開荒次郎忠氏(しんかいあらじろうただうじ)・安達藤九郎盛長
です。
北条時政北条義時前日に岩浦より船出をしたといわれています。

当時房総には、下総千葉常胤上総上総広常安房安西景益丸信俊ら、
源氏恩顧の豪族が多く、内房沿岸対岸三浦半島三浦氏の勢力範囲でもあるため、
頼朝が再起に選んだ場所とも考えられています。

岩海岸(源頼朝船出の浜)

現在は岩海水浴場になっています。訪問時の八月は海水浴客で賑わっていました。

海岸のそばには『源頼朝船出の浜』石碑があります。

背中合わせに『源頼朝開帆處(かいはんしょ)』という石碑もありました。

岩海岸の合戦場印

岩海岸・合戦場印

小田原城のそばにある、小田原市観光交流センターで購入しました。
小田原城の御城印も販売されています。

史跡情報

  • 住所:神奈川県足柄下郡真鶴町岩957-1
  • アクセス:JR真鶴駅下車徒歩約16分

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