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岩海岸:源頼朝船出の浜
鎌倉幕府初代将軍・源頼朝ゆかりの地
再起を図る船出の場所
現在の神奈川県小田原市にある石橋山古戦場は、
かつて平家打倒の挙兵をした源頼朝が石橋山で300余騎を従え、
平家方の大庭景親(おおばかげちか)の軍勢3,000余騎と、
後方に伊東祐親の300余騎と戦いましたが、破れた地でした。
頼朝は箱根山中に逃れた後、従者とともに七名で、
真鶴から海路、安房国(千葉県)へ向かいました。
頼朝一行が上陸した場所が、現在の千葉県安房郡鋸南町(きょうなんちょう)といわれています。
七名とは、源頼朝・土肥実平・土肥遠平(土肥実平嫡男)・土屋宗遠(土肥実平弟)・岡崎義実、
新開荒次郎忠氏(しんかいあらじろうただうじ)・安達藤九郎盛長です。
北条時政と北条義時は前日に岩浦より船出をしたといわれています。
当時房総には、下総の千葉常胤、上総の上総広常、安房の安西景益・丸信俊ら、
源氏恩顧の豪族が多く、内房沿岸は対岸の三浦半島の三浦氏の勢力範囲でもあるため、
頼朝が再起に選んだ場所とも考えられています。
岩海岸(源頼朝船出の浜)
現在は岩海水浴場になっています。訪問時の八月は海水浴客で賑わっていました。
海岸のそばには『源頼朝船出の浜』の石碑があります。
背中合わせに『源頼朝開帆處(かいはんしょ)』という石碑もありました。
岩海岸の合戦場印
岩海岸・合戦場印
小田原城のそばにある、小田原市観光交流センターで購入しました。
小田原城の御城印も販売されています。
史跡情報
- 住所:神奈川県足柄下郡真鶴町岩957-1
- アクセス:JR真鶴駅下車徒歩約16分
ご覧頂きましてありがとうございます。
清和源氏の嫡流である河内源氏の源義朝の三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、
北条政子との婚姻を期に、平家打倒に挙兵しました。
その後鎌倉幕府初代将軍となりました。
これにより東国に独立した武家政権が開かれました。
建久九年(1198年)に相模川の橋供養の帰りに体調不良からの落馬が原因で、
五十二歳で亡くなりました。