国宝『小桜韋威鎧兜(こざくらかわおどしよろいかぶと)、大袖付』:菅田天神社(かんだてんじんしゃ)
令和六年十月・特別公開:国宝『小桜韋威鎧 兜・大袖付(こざくらがわおどしよろい かぶと・おおそでつき)』
国宝・楯無の鎧は、令和6年10月20日(日)に公開されました。
午前9時30分から11時30分までの限定のため、当日は9時頃から大勢の人が並んでいました。
新羅三郎義光以来、甲斐武田家代々の家宝として伝わりました。
武田信玄はこの鎧を鬼門除けとして、菅田天神社に奉納しました。
天正十年(1582年)武田家滅亡の際、武田勝頼の命を受けた田辺左衛門尉は、
鎧を向嶽寺の大杉の根元に埋めたといわれています。
その後徳川家康によって掘り出され、再び菅田天神社に奉納されました。
楯無の鎧が納められている収蔵庫です。普段は閉じられています。
当日は「甲州市およっちょい祭り」が開催されており、
塩山駅の周辺から多くの人出で賑わっていました。
宝物殿から神門まで行列で、1時間程待ってようやく順番が来て、
1分程の時間内に楯無の鎧を見ることが出来ました。
由緒
承和九年(842年)に国司の藤原伊勢雄が勅を奉じ、
甲斐小目飯高浜成に命じて創立したと伝わります。
御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)及び五男三女神で、
寛弘元年(1004年)に菅原道真を相殿に祭り、以来菅田天神社と称したといいます。
新羅三郎義光以来甲斐源氏の鎮守とされ、社の位置が甲斐府中(甲府)の鬼門に当たるので、
武田家は重宝楯無鎧をこの宮に預け、於曽氏にその保管をさせ、
大事あるごとに出納を命じたといいます。
武田信光のころ、
御旗(みはた)(雲峰寺所蔵)とともに武田氏の家宝となったといわれています。
東側鳥居
JR塩山駅から歩いて向かうと、朱色の鳥居が目印となります。
東側鳥居から社殿に向かうことが出来ます。正面の鳥居は菅田神社交差点の場所にあります。
東側二の鳥居の先に収蔵庫があります。
社標と鳥居
菅田神社前交差点に一の鳥居と朱色の二の鳥居があります。その先に神門があります。
隋神門
隋神門の先に収蔵庫と社殿があります。普段は静かな境内です。
社殿
社殿は昭和四十年(1965年)の火災で焼失しましたが、
昭和四十四年(1969年)に再建されました。
神楽殿
甲州市指定文化財:菅田天神社石灯籠
菅田天神社のご朱印
令和六年拝受:ご朱印
国宝公開時はご朱印の授与は無かった為、後日改めて参拝し、頂きました。
境内にある授与所は無人でしたが、隋神門手前の社務所にて頂きました。
神社情報
- 住所:山梨県甲州市塩山上於曽1054
- アクセス:JR塩山駅徒歩約9分
菅田天神社周辺
令和六年十二月参拝時:雪の南アルプス
十二月は空気が澄んでいて、雪の南アルプスが綺麗に見えました。
JR塩山駅北口:武田信玄公像
武田信玄公像といえばJR甲府駅前の像が有名ですが、塩山駅北口にもありました。
昭和六十三年に塩山ライオンズクラブより寄贈されました。
塩山駅ホーム
御旗のモニュメントがありました。
JR塩山(えんざん)駅北口
塩山は恵林寺や向嶽寺など古刹があります。
於曽道祖神
塩山駅北口ロータリーには於曽道祖神が祀られていました。
ご覧頂きましてありがとうございます。