Contents
岡野知十の句碑:冬木弁天堂(ふゆきべんてんどう)
深川七福神めぐり
由緒
木場の材木豪商の冬木弥平次が宝永二年(1705年)に茅場町から深川に屋敷を移転した際、
邸内の大きな池のほとりに、竹生島から移した弁財天を安置しました。
現在の地名が冬木町といわれる由来となりました。
尾形光琳(おがたこうりん)が冬木家に寄寓中、冬木家の妻のために画いた秋草の小袖が、
上野国立博物館に保存されています。
冬木弁天堂
関東大震災で焼失しましたが、昭和二十八年に再建されました。
岡野知十の句碑
明治・大正の俳人の岡野知十の句碑が建っています。
鈴木松雄が『名月や 銭かねいはぬ 世が恋し』の岡野知十の句碑を建てました。
冬木弁財天お巳洞
弁天堂の横にあります。
冬木弁天堂のご朱印
令和七年拝受:深川七福神めぐり・弁財天
寺院情報
- 住所:東京都江東区冬木22-31
- アクセス:東京メトロ東西線・都営大江戸線門前仲町駅徒歩約8分
冬木弁天堂周辺
渋沢栄一ゆかりの地:明治学校(現・明治小学校)
明治三年(1870年)に儒学者の村松為渓によって、陽岳寺の境内に開校されました。
明治十年(1877年)に現在地に移転して明治小学校と改称しました。
渋沢栄一は開校式に招待され、学校の運転資金や改築費を寄付するなど、
学校の維持に貢献しました。
海福寺跡
明治小学校の前の明治小学校プールには、海福寺跡の案内がありました。
海福寺は、寛永五年(1628年)に創建されました。
境内には文化四年(1807年)の富岡八幡宮祭礼時、
永代橋の崩落に巻き込まれて亡くなった人々を供養する為に建てられた、
永代橋崩落横死者供養塔がありました。
ご覧頂きましてありがとうございます。
深川七福神めぐりは明治末期ごろに始まり、親しまれてきましたが、
一時中断後、昭和四十五年(1970年)に復活しました。
東京都江東区北西部の七つの社寺をめぐります。
毎年1月1日~7日の期間にご朱印を頂くことが出来ます。
恵比須神:富岡八幡宮
弁財天:冬木弁天堂
福禄寿:心行寺
大黒天:円珠院
毘沙門天:龍光院
布袋尊:深川稲荷神社
寿老神:深川神明宮
深川七福神めぐりHP:http://www.fukagawa7.net/