Contents
- 1 北口本宮(きたぐちほんぐう)富士浅間神社(せんげんじんじゃ)
- 1.0.1 由緒
- 1.0.2 社標と鳥居
- 1.0.3 御手洗川
- 1.0.4 参道
- 1.0.5 角行の立行石(かくぎょうのたちぎょういし)
- 1.0.6 仁王門礎石
- 1.0.7 富士山大鳥居
- 1.0.8 国指定重要文化財:福地八幡社(ふくちはちまんしゃ)
- 1.0.9 国指定重要文化財:随神門(ずいしんもん)
- 1.0.10 国指定重要文化財:神楽殿
- 1.0.11 国指定重要文化財:手水舎(てみずしゃ)
- 1.0.12 国指定重要文化財:本殿・拝殿・幣殿
- 1.0.13 国指定重要文化財:恵比寿社及び透塀(すきべい)
- 1.0.14 国指定重要文化財:東宮本殿(ひがしのみやほんでん)
- 1.0.15 国指定重要文化財:西宮本殿(にしのみやほんでん)
- 1.0.16 国指定重要文化財:村上光清同行の燈籠
- 1.0.17 富士太郎杉
- 1.0.18 富士夫婦桧
- 1.0.19 七色もみじ
- 1.0.20 祖霊社
- 1.0.21 国指定重要文化財:諏訪神社
- 2 北口本宮富士浅間神社のご朱印
- 3 神社情報
北口本宮(きたぐちほんぐう)富士浅間神社(せんげんじんじゃ)

令和七年十二月参拝時は、気温も低く、西宮本殿前の水盤にはぶ厚い氷が張っていました。
由緒
景行天皇四十年(110年)に日本武尊が東征の折、箱根足柄より甲斐国の酒折宮へ向かう途中、
大塚丘に立ち寄り、「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と
祠を建てて祀ったのがはじまりです。
延暦七年(788年)に甲斐国主の紀豊庭が、大塚丘の北方に社殿を建立しました。
享保十八年(1733年)に江戸の富士講村上派を率いる村上光清が私財を投じて出資し、
幣殿、拝殿、神楽殿、手水舎、随神門を造営しました。
昭和二十一年(1946年)に現在の北口本宮富士浅間神社に改称されました。
社標と鳥居

御手洗川

参道

角行の立行石(かくぎょうのたちぎょういし)

この立行石は、慶長十五年(1610年)の冬、富士講の開祖角行東覚が吉田の地を訪れ、
富士山霊を遥拝し、酷寒の中を裸身にて、石上に爪立ちして三十日の荒行をしました。
全身より血を噴き、里人の勧めで行を止めたと伝えられています。

角行は富士講の開祖となりました。
仁王門礎石

神仏混淆時代には、三重塔、鐘楼、仁王門など仏教色の濃い堂塔がありました。
神仏分離後は、三重塔、鐘楼の痕跡を確認することはできませんが、
下吉田の月江寺が護持していた仁王門の礎石は残っていました。

仁王門の規模は梁間約5.5メートル、軒高約11メートルという記録が残されています。
富士山大鳥居

日本武尊が富士山を遥拝した時に大鳥居を建てたといわれています。

富士山大鳥居は六十年をもって式年と定められ、
建替えあるいは修理がなされました。高さ約17メートル72センチです。
木造としては日本最大級を誇ります。

『三国第一山(さんごくだいいちさん)』の扁額は、良恕法親王の筆により、
谷村藩主の秋元泰朝によって寛永十三年(1636年)に奉納されました。
「三国第一山」とは、日本と中国(唐土)、インド(天竺)の三国で、
世界一高く麗しい山とされた富士山をさします。
国指定重要文化財:福地八幡社(ふくちはちまんしゃ)

古くは「古吉田」の地にあった氏神と伝えられています。
貞享元年(1684年)に建立、元文五年(1740年)に村上光清を中心とした富士講中が、
その古材の一部を用いて再建しました。

国指定重要文化財:随神門(ずいしんもん)

元文元年(1736年)の建立ですが、永正十七年(1520年)の銘がある随神像の存在や、
延宝八年(1680年)版行の「八葉九草図」に該当する建物が描かれていることから、
村上光清ら富士講中により新たに再建立されたものと推定できます。

国指定重要文化財:神楽殿

元文二年(1737年)頃に村上光清を中心とした富士講中により建立されました。

富士山御師により太々神楽が奉納された舞台で、
現在でも神社の祭礼には地元の神楽講により、
富士山御師より継承した太々神楽が奉納されています。
国指定重要文化財:手水舎(てみずしゃ)

延享二年(1745年)に建立されました。富士山の溶岩から削り出された巨大な水盤石など、
境内随一の装飾性に富む建物です。

水盤石に立つ龍の口からは、富士山信仰の霊場であり、
富士八海の一つとして数えられた「泉瑞(せんずい)」から引き込んだ霊水が、
現在も絶え間なく流れ出ています。
国指定重要文化財:本殿・拝殿・幣殿

本殿・拝殿・幣殿は、元和元年(1615年)に、
郡内領主鳥居土佐守成次によって建立されました。

慶安二年(1649年)には秋元富朝によって修復が加えられ、享保十九年(1734年)には、
村上光清を中心とした富士講中によって本殿の修復、拝殿及び幣殿の再建が、
寛延四年(1751年)まで続けられました。


国指定重要文化財:恵比寿社及び透塀(すきべい)

透塀は宝暦三年(1753年)の造営で、恵比寿社は同時期かやや下るころの造営とみられます。

恵比寿社は本殿の裏手にあり、
事代主神(恵比寿)と大国主神(大黒天)の神像が祀られています。

国指定重要文化財:東宮本殿(ひがしのみやほんでん)

貞応二年(1223年)に鎌倉幕府二代執権の北条義時の創建と伝えられます。
現社殿は永禄四年(1561年)に武田信玄が川中島合戦の戦勝を祈願して、
本殿として造営したものです。

その後、享保二十年(1725年)に富士行者六世の村上光清によって修理が行われています。
国指定重要文化財:西宮本殿(にしのみやほんでん)

文禄三年(1594年)、谷村城主の浅野左衛門佐氏重によって、
東宮に代わる本殿として建立されましたが、
元和元年(1615年)に鳥居成次の本殿建立により現在地へ遷されました。

その後享保十九年(1734年)に村上光清により大修復が行われています。
国指定重要文化財:村上光清同行の燈籠

宝暦六年(1756年)に奉納されました。奉納者は、富士行者六世の村上光清が代表を務めた、
「村上光清同行」に所属した「谷村上町講中」です。

富士太郎杉

樹齢千年くらいと言い伝えられています。樹高約30メートルです。

富士夫婦桧

二本のヒノキが根元で一本になり、地上約十二メートルで再び合着していることから、
「富士夫婦桧」と呼ばれています。樹高約三十メートルです。

七色もみじ

春に見ごろの七色(なないろ)もみじです。
祖霊社

富士山吉田口登山道の起点となります。

祖霊社には、富士講の開祖・藤原角行、富士講中村上光清、江戸庶民に富士講を広めた、
伊藤身禄が祀られています。
国指定重要文化財:諏訪神社

創建は未詳ですが、地主神と伝わります。慶安二年(1649年)に拝殿が建立されました。
本殿は昭和五十一年に再建されました。
北口本宮富士浅間神社のご朱印
平成二十五年拝受:ご朱印

平成二十五年拝受:諏訪神社・ご朱印

右上の印にある『吉田の火祭り』とは、諏訪神社の祭礼で、
日本三奇祭の一つに数えられます。
令和七年拝受:ご朱印

令和七年拝受:諏訪神社・ご朱印

令和七年拝受:大塚丘社(おつかやましゃ)・ご朱印

発祥の地の大塚丘社(おつかやましゃ)のご朱印です。
令和七年十二月:授与品

ご朱印を頂いた際、「大塚丘富士遥拝」のポストカードを頂きました。
神社情報
- 住所:山梨県富士吉田市上吉田5558
- アクセス:富士急行線富士山駅徒歩約20分・富士急行バス「浅間神社前」バス停すぐ
- HP:https://www.sengenjinja.jp/index.html
ご覧頂きましてありがとうございます。










