【史跡・墓所訪問】埼玉県深谷市:鎌倉幕府有力御家人・畠山重忠ゆかりの地:畠山重忠公史跡公園

畠山重忠公墓所:畠山重忠公産湯の井戸:畠山重忠公史跡公園

鎌倉幕府有力御家人・畠山重忠

畠山重忠

畠山氏坂東八平氏の一つである秩父氏一族です。
畠山重忠源頼朝の挙兵の際、最初は平家方として頼朝討伐に参加しましたが、
その後頼朝に帰伏しました。
鎌倉幕府の有力御家人として、『鎌倉武士の鑑』とも称されました。
しかし北条時政謀略により、北条義時率いる大軍に滅ぼされました(畠山重忠の乱)
享年四十二でした。武勇の誉れ高く
清廉潔白な人柄から『坂東武士の鑑(かがみ)』と呼ばれました。

畠山重忠公之像

昭和六十三年建立されました。源平一ノ谷合戦『鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし』で、
畠山重忠馬を背負っている姿が表現されています。

畠山重忠公之像:碑文

畠山重忠公墓所

畠山重忠公主従として六基の五輪塔があります。

墓所五輪塔

覆屋昭和五十七年架設されました。
真ん中の大きな五輪塔畠山重忠墓と伝わっています。

覆屋架設に伴う発掘調査の結果、墓所の造営鎌倉時代に始まっており、
墓所及び館跡室町時代中期以降まで存続していたとみられます。

畠山重忠父:畠山庄司重能(しげよし)の墓

畠山重忠父・重能(しげよし)は、椎の木の下の自然石であると伝わっています。

畠山重忠公産湯の井戸

畠山重忠は、長寛二年(1164年)畠山重能三浦大介義明娘・眞鶴姫との間に、
二男として生まれました。

井戸には金網がかかっていました。

板石塔婆(いたいしとうば)

記年銘嘉元二年申辰(1304年)卯月(四月)と彫られています。
嘉元二年畠山重忠公二俣川で討死した元久二年(1205年)から百年目にあたり、
百回忌供養のために建立されたものと伝えられます。

重忠公ゆかりの石

畠山重忠公投げた石と伝えられています。
石の上に物を置いたり腰をかけると、ただちに頭痛などが起きるそうです。

伽羅(きゃら)の木

親木さいたま市浦和区常盤公園内にありました。
畠山重忠公が先祖供養のため、秩父にあった一族の墓地植えたとの伝承があります。

畠山重忠公史跡公園

  • 住所:埼玉県深谷市畠山510-2
  • アクセス:秩父鉄道永田駅徒歩18分

看板が目印無料駐車場もあります。

畠山重忠公ゆかりの地

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