東京都品川区:江戸六地蔵第一番:品川寺のご朱印

江戸三十三観音霊場第三十一番札所:東海七福神・毘沙門天:品川寺(ほんせんじ)

東海七福神

東海七福神

京急北品川駅から大森海岸駅までを最寄駅とし、旧東海道を歩く七福神巡りです。
昭和七年(1932年)品川が当時の東京市に編入された記念に制定されました。

品川神社養願寺一心寺・荏原神社・天祖諏訪神社・磐井神社・品川寺

元旦から成人の日までご朱印を頂く事が出来ます。

由緒

大同年間(806年~810年)創建されました。
長禄元年(1457年)太田道灌により伽藍が建立され、大円寺と称しました。

その後戦乱により荒廃しましたが、
承応元年(1652年)弘尊上人により再興され、品川寺(ほんせんじ)となりました。

山門

山門:令和五年東海七福神巡り

令和五年の東海七福神巡りの際の山門です。

江戸六地蔵第一番:銅造地蔵菩薩坐像

宝永五年(1708年)に建立されました。
他の六地蔵と違い笠をかぶっていないのが特徴です。

江戸六地蔵(えどろくじぞう)

江戸六地蔵

宝永三年(1706年)江戸深川地蔵坊正元が発願して、
京都の六地蔵に倣って、江戸の出入口六箇所地蔵菩薩坐像を造立しました。

神田鍋町鋳物師太田駿河守藤原正儀によって鋳造されました。
像の高さはいずれも二百七十センチ前後でした。

第一番:品川寺(旧東海道):東京都品川区

第二番:東禅寺(奥州街道):東京都台東区

第三番:太宗寺(甲州街道):東京都新宿区

第四番:眞性寺(旧中山道):東京都豊島区

第五番:霊巖寺(水戸街道):東京都江東区

第六番:永代寺(千葉街道):東京都江東区

※明治の廃仏毀釈により廃寺となり、
     塔頭の吉祥院永代寺改称されました。

第六番:浄名院東京都台東区

大梵鐘

梵鐘明暦三年(1657年)に鋳造されました。
江戸幕府四代将軍徳川家綱の寄進とされています。

幕末に海外に流出し、パリ万博(1867年)や、
ウィーン万博(1873年)に展示されたと伝えられていますが、
その後行方不明となっていました。

大正八年(1919年)に、
スイスのジュネーヴ市にあるアリアナ美術館に所蔵されていることがわかり、
昭和五年(1930年)に返還されました。

平成三年(1991年)新しい梵鐘品川寺からジュネーヴ市に贈られました。

青物横丁駅前『ジュネーヴ平和通り』と名付けられた道があります。
品川寺の梵鐘が縁となっています。

本堂

江戸三十三観音霊場

江戸三十三観音霊場

江戸時代寛永十八年(1641年)から元禄十一年(1703年)の間に、
開創されたといわれています。明治の廃仏毀釈を経て、廃寺などで札所が入れ替わり、
昭和五十一年(1976年)に改訂され、『昭和新撰江戸三十三観音』と呼ばれています。

江戸三十三観音霊場は特に専用の御朱印帳はありませんでしたので、
寺院用の御朱印帳に頂きました。

薬師堂

薬師堂の中でご朱印を頂きました。

英霊堂

稲荷堂

役行者石像

境内

品川寺のイチョウ

高さ二十五メートル推定樹齢約六百年という古木です。

品川寺のご朱印

江戸三十三観音霊場第三十一番札所:ご朱印

東海三十三観音霊場第二十一番札所:ご朱印

弁財天:ご朱印

東海七福神とは異なり、境内の弁天堂に祀られている弁財天のご朱印です。

薬師如来:ご朱印

江戸六地蔵第一番:ご朱印

令和五年拝受:東海七福神・毘沙門天:ご朱印

金字書置きご朱印を頂きました。毘沙門天のお姿とセットになっていました。

寺院情報

品川寺周辺

江戸幕府御用宿釜屋跡

江戸に近い品川宿は大変賑わった宿場町でした。
品川寺門前にあった『釜屋』は海をのぞむ風光明媚な茶屋として有名で、
慶応三年(1867年)には幕府御用宿として多くの幕臣に利用されました。

慶応四年には鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸に戻った新選組の、
『品川屯所』となっていました。現在その跡地はマンションになっていました。

保土ヶ谷宿の街道松

東海道四番目の宿場町である保土ヶ谷宿より街道松寄贈されました。
マンション『ガーデンホーム南品川』前にありました。

青物横丁案内

東海道南品川宿から池上道に通じる横町青物横丁と呼ばれていました。
江戸時代から大きな八百屋が軒を連ね
明治十年(1877年)には品川青物市場として認可されました(現在は移転)

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