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しいのき迎賓館:旧第四高等中学校本館:金沢大谷廟所:黒門前緑地
しいのき迎賓館
旧石川県庁舎本館

しいのき迎賓館は、大正十三年(1924年)に竣工しました。
平成十四年(2002年)まで約七十八年間、県庁舎として使用されていました。
平成二十二年(2010年)にしいのき迎賓館として生まれ変わりました。

しいのき迎賓館は金沢城のいもり堀のそばにあります。

国指定天然記念物:堂形のシイノキ


一対のシイノキは、樹齢約三百年ともいわれています。
明治時代に石川県庁が置かれた頃の絵や写真にもシイノキが見られます。

堂形前(どうがたまえ)

かつては前田利家が三十三間堂を模した堂形の的場を建て、
家臣に通り矢を練習させていました。その後「堂形」と呼ばれる米蔵ができました。
しいのき迎賓館情報
- 住所:石川県金沢市広坂2-1-1
- アクセス:IRいしかわ鉄道金沢駅下車香林坊バス停下車徒歩約5分
旧第四高等中学校本館
国指定重要文化財:旧第四高等中学校本館

旧第四高等中学校本館は、明治二十四年(1891年)に完成しました。
明治二十七年に第四高等学校に改称し、昭和二十五年に閉校しました。
現在は石川近代文学館として使用されています。

1階は主に教員室、事務室などに、2階は教室として使用されていました。

旧第四高等中学校門衛所

門衛所は守衛の詰所で、明治二十六年(1893年)に建てられました。

旧第四高等中学校本館情報
- 住所:金沢市広坂2-2-5
- アクセス:IRいしかわ鉄道金沢駅下車香林坊バス停下車徒歩約3分
金沢大谷廟所
金沢大谷廟所

金沢大谷廟所は、浄土真宗本願寺派で、
本願寺第八代蓮如上人の父・七代存如上人のご遺骨が安置されています。

旧西町(にしちょう)

金沢御坊の西にできたので西町の名がつきました。
佐久間盛政が金沢御坊を取って、西町口を城の大手としました。
寺院情報
- 住所:石川県金沢市尾山町7-3
- アクセス:IRいしかわ鉄道金沢駅下車南町・尾山神社バス停下車徒歩約3分
黒門前緑地
黒門前緑地(旧高峰家・旧検事正官舎)

黒門前緑地は平成七年(1995年)まで金沢地方検察庁検事正官舎でした。

平成十三年(2001年)に官舎の一部とその土塀を廻らす屋敷構えを保存するとともに、
高峰譲吉博士ゆかりの家屋を移築し、公園として整備されました。

旧高峰家は、明治五年(1872年)に、
加賀藩の御典医であった高峰譲吉の父・精一が建てた居宅の一部で、
書斎・茶室としても利用された離れにあたります。

高峰譲吉(じょうきち)はアドレナリンやタカジアスターゼで有名な世界的化学者です。

旧検事正官舎は、明治四十三年(1910年)に兼六園下に建てられましたが、
路面電車敷設による道路拡張とともに、大正七年(1918年)に現在地へ移築されました。
豪姫(ごうひめ)住居跡

豪姫は天正二年(1574年)に前田利家とお松の方の四女として生まれ、
後に豊臣秀吉の養女となり、岡山城主宇喜多秀家に嫁ぎました。
宇喜多秀家は関ヶ原の戦いに敗れ、八丈島に流され、豪姫は金沢に帰りました。
寛永十一年(1634年)に六十歳で亡くなるまでこの地で暮らしました。
跡地加賀藩御算用場跡地

加賀藩における財務を司る機関を御算用場といい、
寛文十二年(1672年)よりこの地に置かれました。

施設は本棟の他土蔵三棟からなり、算用場奉行以下、
算用者と呼ばれる役人が約百五十名勤務していました。明治二年(1869年)廃止されました。
黒門前緑地情報
- 住所:石川県金沢市丸の内5−16
- アクセス:IRいしかわ鉄道金沢駅下車武蔵ヶ辻・近江町市場バス停下車徒歩約7分
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