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加賀藩主前田家墓所:高岡の開祖:前田利長(まえだとしなが)公墓所

前田利長(まえだとしなが)
前田利長

由緒
加賀藩主前田家墓所は、石川県金沢市にある「野田山前田家墓所」とともに、
『加賀藩主前田家墓所』の名称で国の史跡の指定を受けました。
前田利長の三十三回忌にあたり、加賀前田家三代当主の前田利常によって造営されました。

墓域の総面積は約33,000㎡(1万坪)と広大で、
大名の個人墓所としては国内屈指の規模を誇ります。

参道

墓所

幅15.5㎡、高さ5.0メートル(石塔上までは11.9メートル)の御廟となっています。

墓碑は戸室石で造られています。

平成二十七年訪問時:前田利長公顕彰祭

平成二十七年訪問時には、前田利長公顕彰祭が行われていました。

前田利長公墓所情報
- 住所:富山県高岡市関72-1-1外
- アクセス:あいの風とやま鉄道高岡駅徒歩約15分・能越自動車高岡ICより車で10分
ご覧頂きましてありがとうございます。
永禄五年(1562年)に前田利家の長男として、尾張国荒子城に生まれました。
関ケ原の戦いの後、加賀・越中・能登の三ヶ国にまたがる加賀藩120万石が成立しました。
男子が無かったため、異母弟の前田利常を養嗣子に迎え、富山城に隠居しました。
慶長十四年(1609年)に富山城が焼失したため、高岡城を築き、移りました。
慶長十九年(1614年)に高岡城で亡くなりました。享年五十三でした。