大山不動尊:大山寺(おおやまでら)
大山寺までの道のり
小田急小田原線伊勢原駅で下車し、大山ケーブル行きバスに乗車し、
終点からはこま参道を歩き、大山ケーブル駅よりケーブルカーに乗りました。
大山寺駅で下車しました。終点の阿夫利神社駅には大山阿夫利神社があります。
大山寺駅からは参道を歩きます。
らくらく参道と正面参道のどちらからも、本堂へ向かう事が出来ます。
関東三十六不動霊場
霊場専用の納経帖で巡拝しました。
丹沢(たんざわ)三山めぐり
丹沢山系の「大山」「日向山」「飯山」の寺院を巡ります。
日向薬師宝城坊:日向山:日本三薬師:神奈川県伊勢原市
長谷寺(ちょうこくじ):飯山:坂東第六番札所:飯山観音:神奈川県厚木市
大山寺(おおやまでら):大山:炎の寺:あぶりさん:神奈川県伊勢原市
それぞれの寺院で、『丹沢三山めぐり』のご朱印を頂きました。
由緒
天平勝宝七年(755年)に奈良東大寺別当の良弁僧正(ろうべんそうじょう)が開創し、
聖武天皇の勅願寺となりました。
元慶三年(879年)に大火に見舞われ、仏像僧坊のほとんどが焼失しましたが、
元慶八年(884年)には僧・安然(あんねん)によって再興されました。
文永年間(1264年~1275年)に一時荒廃しますが、
これを嘆いた鎌倉胡桃谷大楽寺の願行上人は、鉄造の不動明王の大像を鋳造して、
大山寺に安置しました。鉄造の不動明王は国の重要文化財に指定されています。
江戸時代は大山詣りの流行によって、関東一円の信仰を集め、隆盛を極めました。
明治初期の神仏分離により、大山阿夫利神社と離れ、大山寺は現在の地へ移りました。
正面参道
正面参道の階段を登ると本堂があります。
正面参道前からの道
前不動堂と龍神堂は、大山寺駅からは正面参道を過ぎて一旦下へ降ります。
前不動堂
安政火災後に、現在の大山ケーブル駅にあったものが移築されました。
本堂には前不動にあった木造不動明王と二童子立像が安置されています。
現在は前不動堂には仏像は祀られていないそうです。
龍神堂
元は二重瀧にあり、寛永十八年(1461年)に江戸幕府三代将軍徳川家光の寄進により、
再建されました。八大龍王と呼び、大山の守護神にして、雨乞いの本尊です。
大山唯一の朱塗りの建物で、安政の大火で焼失を免れ、現在の場所へ移築されました。
大山最古のお堂となります。
本堂
本堂は明治初年の廃仏毀釈によって破壊されたましたが、
明治十八年(1885年)に全国の信者の寄進によって再建されました。
御本尊は『鉄造不動明王』です。二童子像とともに国の重要文化財に指定されています。
大師堂
弘法大師堂は、明治四十年に東京浅草の不動講、本浅睦会の発願によって、
本堂左側に建立されましたが、大正三年に宝篋印塔が再建される際、
その前年に本堂右側に移築されました。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)
宝篋印塔は寛政七年(1795年)に旧大山寺境内に建立されました。
大正三年に現在の境内に再建されました。関東大震災で上部が倒壊しましたが、
大正十五年に復元されました。
鐘楼
現在の鐘楼は昭和二十四年に奉納されました。
俱利伽羅龍・俱利伽羅の滝
伯耆坊大天狗堂
開山千二百七十年記念事業(令和七年予定)として、
令和四年に白アリ被害あった大天狗堂が新築建立されています。
伯耆坊大天狗は、明治維新以前は、
山頂大山寺本宮石尊大権現の両脇侍として奉安されていました。
明治六年頃に現在地にお祀りされました。
大山寺駅から大山寺までの参道
東京大空襲被災者供養碑
東京大空襲の『災難身代り』として、菊川橋の橋材の一部が奉納されていました。
菊川橋の改修の際に橋材の一部を東京都から貰い受けたそうです。
大山寺のご朱印
大山寺御朱印帳
平成二十二年拝受:関東三十六不動霊場第一番札所・ご朱印
令和六年拝受:御本尊・ご朱印
令和六年拝受:十一面観音・ご朱印
令和六年拝受:丹沢三山めぐり・ご朱印
寺院情報
- 住所:神奈川県伊勢原市大山724
- アクセス:小田急小田原線伊勢原駅下車大山ケーブル行きバス乗車し終点下車
大山ケーブル大山寺駅下車 - HP:https://oyamadera.jp/
大山寺周辺
塚本みやげ店
昼食はこま参道の中にある「塚本みやげ店」で頂きました。
とろろそばを美味しく頂きました。
名物の「大山とうふ」に自家製味噌をかけた味噌とうふも頂きました。美味でした。
ご覧頂きましてありがとうございます。
関東三十六不動霊場は、不動明王をお祀りする寺院を巡るものです。
昭和六十二年(1987年)に開創されました。
三十六ケ所の札所は、不動明王の眷属(けんぞく)である、
三十六童子がお護りする尊像を巡拝の御本尊としたことから定まったものです。
不動尊への信仰は古くから関東地方の南部で篤いため、
我が国最大の不動尊の霊域ということができます。