天満天神繫昌亭:江戸時代建立の社殿が残る:大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)
天神橋筋商店街
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天神橋筋商店街は大阪天満宮の門前町として発展してきました。
商店街の入口の人形は天神祭のお迎え船人形がモデルになっているようです。
由緒
白雉元年(650年)に孝徳天皇が難波宮を造営した際、
その西北に守護神として大将軍社を建立したのがはじまりです。
以来この場所が「大将軍の森」と呼ばれるようになり、
現在「南森町」として地名が残っています。
延喜元年(901年)に太宰府に左遷された菅原道真が、太宰府に向かう途中に参拝し、
旅の安全を祈願したといわれています。
延喜三年(903年)に菅原道真が亡くなった後、
天暦三年(949年)に大将軍社前に七本の松が生え、夜ごとに光を放ったという出来事により、
村上天皇の勅命で天満宮が建立され、大将軍社は摂社となりました。
表大門
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社殿
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神社は享保九年(1724年)の享保の大火で全焼しました。後に復興しましたが、
天保八年(1837年)の大塩平八郎の乱で再び全焼しました。
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天保十四年(1843年)に現在の社殿が再建されました。
昭和二十年の大阪大空襲では焼失を免れています。
本殿背後
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桜がきれいに咲いていました。
登龍門
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弘化二年(1845年)に再建された際、東西唐門両側に鯉に龍の図柄の金燈籠がありましたが、
戦前の金属供出でなくなりました。平成十四年に昔ながらの図柄で再現されました。
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中国の故事で、龍門の下に鯉が集まり、登れば龍となることから、
通り抜ければ出世するといわれています。
渡り廊下
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蛭子門(えびすもん)
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大阪天満宮南西の門は蛭子門(えびすもん)と呼ばれています。
かつて門のそばに「戎社」があったことからそう呼ばれたそうです。
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蛭子遷殿
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かつて蛭子門のそばにありましたが、現在は境内の西北の場所にあります。
平成十九年正月に『十日えびす』が復興されました。
御神酒笑姿(おみきえびす)
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蛭子門のそばには『御神酒笑姿(おみきえびす)』像がありました。
大将軍社
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白雉元年(650年)に孝徳天皇が難波宮を造営した際、
その西北に守護神として大将軍社を建立したのがはじまりです。
延喜元年(901年)に太宰府に左遷された菅原道真が、太宰府に向かう途中に参拝し、
旅の安全を祈願したといわれています。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2024/03/大将軍社由緒-597x1024.jpg)
神武天皇聖蹟(じんむてんのうせいせき)難波之崎
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日本書紀によると、難波之崎は神武天皇東征の際に到着した場所だそうです。
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臥牛像(スエヒロ寄贈)
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スエヒロが開業二十周年を記念して、供養の為に建立したそうです。
老松神社
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古く神功皇后が九州筑紫より帰航の折、巨松に風波の難を避けて、
樹下に社を建てたのが始まりと伝えられ、
貞観二年(860年)白砂青松の地(旧老松町三丁目)に老松神社が建立され、
平成二年に大阪天満宮境内に遷座されました。
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老松社紅梅殿と白太夫社
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白米稲荷大明神
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伏見稲荷大社の奥院と称されます。
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天満天神の水
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大阪四清水のひとつである『天満天神の水』は高度経済成長期に一度枯れてしまいましたが、
平成二十六年(2014年)に井戸を掘り直して復活しました。
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星合の池
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天暦三年(949年)に天満宮が鎮座した際、池水に霊光が映ったと伝承されています。
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昭和の初めまで池には『宇賀の社』があり、紅梅紫藤が咲きみだれ、
付近には歌舞伎を常打とした天満八千代座、浪花節の国光席、
吉本興業発祥となった天満花月吉川館などの寄席が隣接していた歓楽街でした。
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星合の池にかかる星合橋を渡ると、祖霊社がありました。
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大阪天満宮のご朱印
平成十八年拝受:天満天神・ご朱印
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令和五年拝受:大阪天満宮・ご朱印
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神社情報
- 住所:大阪府大阪市北区天神橋2-1-8
- アクセス:大阪メトロ谷町線・堺筋線南森町駅下車すぐ・JR東西線大阪天満宮駅下車すぐ
- HP:https://osakatemmangu.or.jp/
大阪天満宮周辺
大阪天満宮北側鳥居
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天満天神繫昌亭
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大阪天満宮北側鳥居の手前に、平成十八年(2006年)に上方落語の定席、
『天満天神繫昌亭』が復活しました。大阪大空襲で全ての落語の定席が失われていました。
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江戸時代の大阪天満宮境内には、演芸や飲食の小屋が約五十軒も建ち並んでいたそうです。
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