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梶原景時ゆかりの地:修善寺日枝神社
源頼朝の異母弟:源範頼ゆかりの地
日枝神社の境内にあった信功院に幽閉されていたのを、
梶原景時に討伐され、亡くなったといわれますが、
修善寺から逃れたという伝説もあります。
鎌倉幕府有力御家人:梶原景時ゆかりの地
梶原氏は坂東平氏の流れを組む鎌倉氏の一族です。
源頼朝が平家打倒の兵を挙げた時、
最初は同族である大庭景親(おおばかげちか)とともに、
石橋山の戦いで頼朝の軍を打ち破りましたが、
山中に隠れる頼朝らを見逃したという故事があります。
その後頼朝に帰伏し、鎌倉幕府の有力御家人の一人となりましたが、
他の御家人から排除され、一族は滅亡しました(梶原景時の変)
信功院に幽閉されていた源範頼を討伐しました。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/08/梶原景時イラスト-768x1024.jpg)
日枝神社の境内に梶原景時のパネルがありました。
信功院跡
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/08/信功院跡-1024x768.jpg)
修禅寺の八塔司(はったっす)の一つである信功院がありました。
庚申塔は文政元年(1818年)に建立されたものです。
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建久五年(1194年)に梶原景時率いる五百騎の不意打ちに合い、
源範頼は防戦の末に自害したといわれています。
由緒
修禅寺の鬼門にあたり、弘法大師空海が建立したと伝わる鬼門鎮守の山王社でした。
境内には信功院がありました。
信功院は後に庚申堂となりますが、現在は庚申塔が一基残るのみです。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/08/由緒-1-1024x811.jpg)
日枝神社にまつわる良縁と子宝の神話があります。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/08/日枝神社にまつわる神話-1024x782.jpg)
社標
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/08/社標-1024x745.jpg)
修善寺温泉バス停から修禅寺に向かう道沿いにあります。
階段の先に社殿があります。
社殿
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/08/社殿-1024x728.jpg)
夫婦杉
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/08/夫婦杉-755x1024.jpg)
樹齢八百年の大杉になります。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/08/夫婦杉案内-1024x906.jpg)
日枝神社のイチイカシ
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/08/イチイカシ-1024x760.jpg)
高さ二十五メートルあります。九州地方に生育する木で、
伊豆地方には珍しいそうです。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/08/イチイカシ案内-1024x779.jpg)
修善寺日枝神社のご朱印
平成二十六年拝受:ご朱印
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/08/修善寺日枝神社_ご朱印.jpg)
御祭神の大山咋神(おおやまくいのかみ)が書かれています。
令和四年拝受:ご朱印
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/08/修善寺日枝神社_ご朱印2.jpg)
神社情報
- 住所:静岡県伊豆市修善寺826
- アクセス:伊豆箱根鉄道修善寺駅下車修善寺温泉行バス終点下車徒歩1分
ご覧頂きましてありがとうございます。
源義朝の六男で鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の異母弟になります。
蒲冠者(かばのかじゃ)・蒲殿(かばどの)と呼ばれています。
頼朝の代官として、源義仲や平家討伐に赴き、源義経とともに打ち破りました。
建久四年(1193年)に頼朝に謀反の疑いをかけられ、修善寺に流されました。