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鎌倉幕府終焉の地:東勝寺跡(とうしょうじあと)
由緒
嘉禄元年(1225年)に鎌倉幕府三代執権の北条泰時(ほうじょうやすとき)の開基で、
北条一族の菩提寺としました。
開山は退耕行勇(たいこうぎょうゆう)です。
元弘三年(1333年)に新田義貞による鎌倉攻めにより、
鎌倉幕府の第十四代執権の北条高時は東勝寺で一族郎党八百人余りとともに自害して、
鎌倉幕府は滅亡しました(東勝寺合戦)
焼失後まもなく禅宗寺院として再興され、室町時代には関東十刹に列せられましたが、
十六世紀後半頃には途絶えたようです。
鎌倉町青年團:東勝寺旧跡碑
東勝寺跡の発掘調査
昭和五十年・五十一年(1976年)及び平成八年・九年(1997年)に発掘調査が実施されました。
平成十年(1998年)に『東勝寺跡』として国の史跡に指定されました。
腹切りやぐら
腹切りやぐらのある『祇園山ハイキングコース』は現在立入禁止となっています。
祇園山ハイキングコース
現在は令和元年の台風の影響による倒木や地滑りで全面通行止です。
祇園山ハイキングコースは八雲神社へ続きます。
平成二十六年訪問時:腹切りやぐら
東勝寺跡情報
- 住所:神奈川県鎌倉市小町3-10-1
- アクセス:JR鎌倉駅下車徒歩20分
近くには腹切りやぐらを管理している宝戒寺があります。
東勝寺跡周辺
東勝寺橋
東勝寺橋は大正十三年(1924年)に建造されたアーチ構造の橋です。
震災復興期に積極的に導入された鉄筋コンクリート造です。
東勝寺橋からの滑川(なめりがわ)です。
鎌倉町青年團:青砥藤綱旧跡の碑
東勝寺橋の近くに青砥藤綱(あおとふじつな)旧跡の碑があります。
執権の北条氏二代に渡って仕えました。
公正な人柄から、『太平記』や江戸時代の歌舞伎にも登場した人物です。
碑にはかつて夜に滑川に銭十文を落とし、従者に命じて銭五十文で松明を買ってきたことを嘲られた時に、『十文は少ないがこれを失えば天下の貨幣を失うことになる。
五十文は自分には損だが他人には利益となるだろう』と答えた物語が書いてあります。
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