築地市場跡:築地波除神社(つきじなみよけじんじゃ)
令和四年訪問時:築地市場跡地
築地波除神社は築地場外市場内にあり、近くにはかつて築地市場がありました。

築地市場跡は令和四年現在更地になっており、三井不動産などによる再開発事業、
「築地地区まちづくり事業」が進められています。

2030年代にまちびらきが予定されています。

かつての築地市場入口には、「東京都中央卸売市場」の看板跡がありました。
築地市場跡:マグロ塚プレート
築地市場跡の入口付近にはマグロ塚プレートがありました。

昭和二十九年(1954年)3月1日に米国は、
南太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験を行いました。
被爆した第五福竜丸から水揚げされた魚の一部は築地市場に入荷し、
放射能汚染が判明した魚(サメ・マグロ)などは、
消費者の手に渡る前に市場内の一角に埋められ、廃棄されました。
築地市場跡:浴恩園跡(よくおんえんあと)
築地市場には、江戸時代後期に浴恩園(よくおんえん)という庭園がありました。
寛政の改革で有名な松平定信の下屋敷に作られました。
寛政四年(1792年)に一橋家より賜った約17,000坪の園内には、
春風池、秋風池、築山などが配され、風光明媚で林泉に富んだ汐入廻遊式庭園でした。

明治維新以降は海軍関係の用地になり、「海軍発祥の地」ともされます。
関東大震災で被害を受け、その後日本橋にあった魚市場が移転して、現在に至ります。
海幸橋(かいこうばし)

海幸橋(かいこうばし)は、昭和二年に旧築地川東支川の隅田川河口部に架かれた、
鋼下路アーチ橋です。

築地川東支川は平成七年に埋め立てられ、橋本体は平成十四年に撤去されました。
築地市場跡周辺:勝鬨橋(かちどきばし)

築地市場跡周辺:タワーマンションの間から見える東京タワー

2棟のタワーマンションの間から東京タワーが見えました。
由緒
江戸時代に日比谷入江から埋め立てられた江戸東南海埋立は、
明暦の大火の後の最後の築地海面の埋立工事では、堤防を築いても激波にさらわれ、
困難を極めました。
萬治二年(1659年)の或る夜に、海面に光を放って漂う稲荷大神の御神体を見つけ、
現在地に社殿を造りお祀りしたところ、波風もおさまり、工事は無事完了しました。
人々は稲荷大神に『波除』の尊称を奉り、雲を従える「龍」、風を支える「虎」、
一声で万物を威伏させる「獅子」の巨大な頭が数体奉納されました。

鳥居

社殿

賽銭箱は、昭和十二年に現在の社殿の竣工に合わせて有志の仲買により奉納されました。
獅子殿

江戸時代に焼失した『厄除天井大獅子』は、平成二年の御鎮座三百三十年を記念して、
高さ2.4メートル、重さ1トンで再興されました。
弁財天:お歯黒獅子

弁財天が祀られています。中に収められている『お歯黒獅子』は、
高さ1.8メートル、両耳幅2.5メートル、総重量700㎏の総漆塗り一木造です。

平成十四年に再興されました。
鮟鱇(あんこう)塚

昭和四十八年に建立されました。
昆布塚

平成二十八年に建立されました。
玉子塚

平成五年に建立されました。
奉納 吉野家碑

平成二十八年に吉野家によって建立されました。
吉野家は明治三十二年に日本橋の魚河岸で開業し、
屋号は創業者・松田栄吉の出身地である大阪・吉野町より名付けられたと伝えられます。
関東大震災の影響で大正十五年に魚河岸とともに築地に移転しました。

東京大空襲で焼失しましたが、終戦後すぐに屋台で営業を再開し、
昭和三十四年に「築地一号店」が開店しました。
活魚塚

昭和五十九年に建立されました。
海老塚

昭和四十八年に建立されました。
すし塚

昭和四十七年に建立されました。
御神木

築地波除神社のご朱印
平成二十一年拝受:波除稲荷神社・ご朱印

令和四年拝受:端午ノ節句・ご朱印

端午ノ節句期間限定の5月1日~5日に頂けます。
令和四年拝受:ご朱印

年間を通して頂けるご朱印とともに木の栞を頂きました。

令和四年拝受:弁財天社・ご朱印

弁財天社のご朱印は年間を通して頂けます。
神社情報
- 住所:東京都中央区築地 6-20-37
- アクセス:都営大江戸線築地市場駅徒歩約5分・東京メトロ日比谷線築地駅徒歩約7分
- HP:https://www.namiyoke.or.jp/index.php
ご覧頂きましてありがとうございます。