東京都江東区:徳川家康側室・阿茶局(あちゃのつぼね)菩提寺:雲光院のご朱印

阿茶局(あちゃのつぼね)開基:雲光院(うんこういん)

阿茶局(あちゃのつぼね)

阿茶局

弘治元年(1555年)武田氏家臣飯田氏の子として、甲府で生まれました。
今川氏の家臣神尾孫兵衛忠重に嫁ぎましたが、忠重の死後徳川家康の側室となりました。
家康の懐刀として、大阪冬の陣、夏の陣では和睦の使者となりました。
徳川秀忠娘和子(東福門院)入内の折に供奉し、朝廷より「従一位」に叙せられました。
三代の将軍に仕え、江戸と京都の宗教的連携
幕府と朝廷の融和推進などに力を尽くしました。
寛永十四年(1637年)京都で亡くなりました。享年八十三でした。

由緒

慶長十六年(1611年)阿茶局自らの発願として、
増上寺潮呑上人(ちょうどんしょうにん)開山開創されました。

馬喰町付近建立された後、明暦の大火被災し、神田岩井町替地となり、
天和二年(1682年)現在の深川の地再び替地となりました。

大正十二年関東大震災本堂が倒壊し、
昭和二十年東京大空襲により全て堂宇が焼失しましたが、
昭和二十二年本堂の再建を果たしました。

山門

本堂

平成六年新しい本堂客殿建立されました。

江東区指定有形文化財:阿茶局墓塔

山門には「阿茶局の墓」の石碑がありました。

阿茶局の墓塔は、江東区の有形文化財に指定されています。

本堂横の墓地を入ってすぐのところに、阿茶局の墓所があります。

後藤三右衛門(ごとうさんえもん)墓

後藤三右衛門は江戸時代後期の商人で、
江戸初期より金座・銀座を支配していた「後藤家」の養子となり、
「二代目後藤三右衛門」を名乗りました。

天保の改革を主導した老中・水野忠邦のもと、貨幣の鋳造や改鋳統括しました。

庄司甚右衛門墓

庄司甚右衛門(しょうじじんえもん)𠮷原遊郭の創設者です。

江戸入府後江戸市中に散在していた遊郭を、幕府の許可の下、「吉原(日本橋)」に集め、
大規模な遊里を設立しました。明暦の大火後吉原浅草田圃「新吉原」に移転しました。

雲光院のご朱印

令和七年拝受:阿茶局・ご朱印

寺院情報

  • 住所:東京都江東区三好2-17-14
  • アクセス:東京メトロ半蔵門線・都営大江戸線清澄白河駅徒歩約8分
  • HP:https://www.unkouin.or.jp/

雲光院周辺

紀伊國屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)之碑

雲光院の近くに『紀伊國屋文左衛門之碑』と書かれた石碑がありました。
お墓もあるようですが、入る事はできませんでした。

紀伊國屋文左衛門元禄時代の豪商で、上野寛永寺造営の際に資材の納入財を成し
吉原での豪遊などの逸話があります。享保十九年深川で亡くなりました。享年六十六です。

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