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阿茶局(あちゃのつぼね)開基:雲光院(うんこういん)
阿茶局(あちゃのつぼね)
由緒
慶長十六年(1611年)に阿茶局自らの発願として、
増上寺の潮呑上人(ちょうどんしょうにん)の開山で開創されました。
馬喰町付近で建立された後、明暦の大火で被災し、神田岩井町に替地となり、
天和二年(1682年)に現在の深川の地に再び替地となりました。
大正十二年の関東大震災で本堂が倒壊し、
昭和二十年の東京大空襲により全て堂宇が焼失しましたが、
昭和二十二年に本堂の再建を果たしました。
山門

本堂

平成六年に新しい本堂と客殿が建立されました。
江東区指定有形文化財:阿茶局墓塔

山門には「阿茶局の墓」の石碑がありました。

阿茶局の墓塔は、江東区の有形文化財に指定されています。

本堂横の墓地を入ってすぐのところに、阿茶局の墓所があります。

後藤三右衛門(ごとうさんえもん)墓

後藤三右衛門は江戸時代後期の商人で、
江戸初期より金座・銀座を支配していた「後藤家」の養子となり、
「二代目後藤三右衛門」を名乗りました。

天保の改革を主導した老中・水野忠邦のもと、貨幣の鋳造や改鋳を統括しました。
庄司甚右衛門墓

庄司甚右衛門(しょうじじんえもん)は𠮷原遊郭の創設者です。

江戸入府後、江戸市中に散在していた遊郭を、幕府の許可の下、「吉原(日本橋)」に集め、
大規模な遊里を設立しました。明暦の大火後、吉原は浅草田圃「新吉原」に移転しました。
雲光院のご朱印
令和七年拝受:阿茶局・ご朱印

寺院情報
- 住所:東京都江東区三好2-17-14
- アクセス:東京メトロ半蔵門線・都営大江戸線清澄白河駅徒歩約8分
- HP:https://www.unkouin.or.jp/
雲光院周辺
紀伊國屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)之碑

雲光院の近くに『紀伊國屋文左衛門之碑』と書かれた石碑がありました。
お墓もあるようですが、入る事はできませんでした。

紀伊國屋文左衛門は元禄時代の豪商で、上野寛永寺の造営の際に資材の納入で財を成し、
吉原での豪遊などの逸話があります。享保十九年に深川で亡くなりました。享年六十六です。
ご覧頂きましてありがとうございます。
弘治元年(1555年)に武田氏家臣の飯田氏の子として、甲府で生まれました。
今川氏の家臣神尾孫兵衛忠重に嫁ぎましたが、忠重の死後は徳川家康の側室となりました。
家康の懐刀として、大阪冬の陣、夏の陣では和睦の使者となりました。
徳川秀忠の娘和子(東福門院)入内の折に供奉し、朝廷より「従一位」に叙せられました。
三代の将軍に仕え、江戸と京都の宗教的連携、
幕府と朝廷の融和推進などに力を尽くしました。
寛永十四年(1637年)に京都で亡くなりました。享年八十三でした。