東京都墨田区:鎌倉幕府有力御家人・千葉常胤ゆかりの地:牛嶋神社のご朱印

本所総鎮守:東都の鎮護:牛嶋神社

由緒

貞観年間(859年~879年)創建されました。

慈覚大師円仁がこの地に来た際、
須佐之男命の化身の老翁から託宣を受け創建しました。

天文七年(1538年)後奈良院より『牛御前社』という勅号を賜りました。

永禄十一年(1568年)戦国大名北条氏直家臣
大道寺駿河守景秀神領を寄進しています。

江戸時代鬼門守護の神社として将軍家の崇敬篤く、
江戸幕府三代将軍徳川家光より本所石原新町の土地の寄進を受けました。

関東大震災で罹災し、昭和のはじめに元水戸徳川邸跡の現在地に再建されました。

鎌倉幕府有力御家人:千葉常胤ゆかりの地

千葉常胤

桓武平氏良文流千葉氏の一族です。千葉常重の息子で、上総広常とは又従兄弟です。
千葉家中興の祖といわれています。
源頼朝平家打倒の挙兵に参加し、鎌倉幕府有力御家人となりました。
建仁元年(1201年)亡くなりました。享年八十四でした。

平家打倒の兵を挙げた源頼朝治承四年(1180年)下総国から武蔵国に渡る際、
豪雨による洪水に遭いましたが、千葉常胤祈願により、無事に渡ることができました。

養和元年(1181年)源頼朝御礼社殿を造営しました。

御祭神

御祭神

須佐之男命(すさのおのみこと)
天之穂日命(あめのほひのみこと)
貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)

貞辰親王(さだときしんのう)清和天皇第七皇子で、
東国を巡行中の元慶元年(938年)この地で亡くなった為、祀られてました。

三ツ鳥居

三輪鳥居(みわとりい)とも呼ばれ、一つの明神鳥居に、
小さな二つの鳥居を合わせたものです。

社殿

総檜権現造』です。

大鳥居

鳥居と境内

社標

撫で牛

自分の身体の悪い部分と同じ部分を撫でると、病気が治るといわれています。

烏亭焉馬(うていえんば)『いそかすは』の狂歌碑

烏亭焉馬(うていえんば) が文化七年(1810年)に建てた碑です。

『いそかすは 濡れまじ物と 夕立の あとよりはるゝ 堪忍の虹』

烏亭焉馬は江戸落語中興の祖といわれています。
天明四年(1748年)に向島の料亭武蔵屋自作自演『噺の会』を催し好評を得たことから、
江戸落語が盛んになっていきました。

獅子山

石造の神牛

葛飾北斎作『須佐之男命厄神退治之図』

弘化二年(1845年)に奉納された、葛飾北斎大絵馬『 須佐之男命厄神退治之図』 は、
関東大震災で焼失してしまい、現在は原寸大の白黒写真本殿内に掲げられています。

ご朱印とともに頂いたしおり『大絵馬の写真』となっていました。

境内社:小梅稲荷神社

牛嶋神社のご朱印

平成二十四年拝受:ご朱印

令和三年拝受:ご朱印

ご朱印敷き紙:神紋について

ご朱印とともにしおりも頂きました。
しおりの裏は葛飾北斎大絵馬の白黒写真となっております。

神社情報

  • 住所:東京都墨田区向島1-4-5
  • アクセス:都営浅草線本所吾妻橋駅徒歩3分

牛嶋神社周辺

言問橋(ことといばし)

言問橋からの景色です。東武線が橋を渡っています。

言問橋のの名前の由来は、在原業平(ありわらのなりひら)の詠んだ、
『名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと』から名付けられた
『言問団子』に因るといわれています。

東京大空襲戦災犠牲者追悼碑

隅田公園は東京大空襲によって亡くなられた方を仮埋葬した場所です。

戦後荼毘に付され、東京都慰霊堂(墨田区)に納骨されました。

ご覧頂きましてありがとうございます。