東京都千代田区:東京五社:靖國神社のご朱印

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英霊を祀る:靖國神社(やすくにじんじゃ)

東京五社

東京五社

東京五社とは、東京の神社の中格式の高い代表的な五つの神社です。

日枝神社東京都千代田区
明治神宮東京都渋谷区
靖國神社:東京都千代田区
大國魂神社東京都府中市


東京大神宮東京都千代田区 

由緒

明治二年(1869年)国家のために一命を捧げられた人々霊を慰め
その事績を後世に伝えようと、招魂社創立されました。

明治天皇命名された『靖國』という社号は、『国を靖(安)んずる』という意味があり、
『祖国を平安にする』『平和な国家を建設する』という願いが込められています。

御祭神

御祭神

靖國の大神:祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々

幕末の嘉永六年(1853年)以降、国を守るために尊い命を捧げられた神霊が、
身分勲功男女の別なく靖國の大神として祀られています。

第一鳥居(大鳥居)

早稲田通り前にある第一鳥居です。参道先には大村益次郎像が見えます。
現在の鳥居昭和四十九年(1974年)再建されたものです。

高さ八階建てのビルに相当し、建立当時日本一の規模でした。

第一鳥居跡

参道には過去の第一鳥居の一部がありました。
大正十年(1921年)日本一の大鳥居として誕生しました。
長年の風雨損傷が激しくなり、昭和十八年(1943年)撤去されました。

狛犬と社標

狛犬昭和四十一年完成しました。

第二鳥居

明治二十年(1887年)建てられました。青銅製の鳥居としては日本一の大きさを誇ります。
大阪砲兵工廠製作されました。

神門

昭和九年(1934年)建てられました。
直径1.5メートル菊花の御紋章が取り付けられています。

中門鳥居と社殿

平成十八年(2006年)建てられました。埼玉県産が使われています。
中門という名称は、かつて門扉があったことに由来します。

中門の先には法政大学が見えます。

社殿

拝殿明治三十四年(1901年)建てられたものです。

靖國大絵馬

横2.76メートル、高さ2.19メートルジャンボ絵馬として新春の靖國の名物になっています。

大村益次郎銅像

靖國神社創建に尽力した大村益次郎銅像は、
明治二十六年(1893年)日本最初西洋式銅像として建てられました。

銅像台座顕彰文揮毫三条実美のものです。

陣羽織をつけ、左手に双眼鏡を持ち、東北のほうを望む姿は、
上野東叡山に立て籠もる彰義隊討伐の時の様子といわれています。

石鳥居

昭和八年(1933年)に建てられた石製の鳥居です。

南門

市ヶ谷駅方面最寄りの入口です。狛犬は境内唯一青銅製です。

常陸丸殉難記念碑(東郷平八郎元帥書)

明治三十七年(1904年)日露戦争の際、陸軍輸送船「常陸丸」が、
ロシアのウラジオストク艦隊攻撃により沈没し、
一千余名船とともに運命を共にしました。

慰霊の泉

昭和四十二年に建立されました。戦没者に水を捧げる母抽象的に表現したものです。

出征を見送る家族の像

令和二年徳島県遺族会奉納によって建立されました。

田中支隊忠魂碑

大正八年田中支隊(歩兵第七十二聯隊)は、田中勝輔少佐指揮のもと、
シベリアにおいて戦闘に従事しましたが、数十倍の敵に包囲され、
ほぼ全員が戦死しました。

この碑は以前九段下牛ヶ淵にありましたが、昭和館の建設に伴い、
平成八年境内に移転されました。

甲東会献上酒

「甲東会(こうとうかい)」兵庫県灘本社を置く酒造会社十社東京支店の会で、
六甲山の「甲」と、東京の「東」に由来します。

昭和三十四年靖國神社創立九十年奉祝して奉納が始められ、
神社のお供えの御神酒として奉納されています。

守護憲兵之碑

東京大空襲の際、戦火から神域を護った功績などから、
靖國神社創立百年にあたる昭和四十四年守護憲兵之碑奉納されました。

行雲亭

行雲亭は、昭和八年財団法人日本刀鍛錬會鍛錬所として竣工された建物です。
昭和六十二年五つの鍛冶場の全てが茶室に改装されましたが、
外観当時のままの優美な姿を残しています。

招魂斎庭跡

招魂斎庭は、神霊本殿に奉祀するに先立って、予め御魂を招き奉る斎場でした。

昭和六十年斎庭のうち浄域のみを縮小保存されました。

海軍經理學校正門敷石

境内には海軍經理學校正門敷石がありました。

海軍經理學校は、明治七年十月芝山内天神谷に設けられた海軍會計學舎は、
明治四十年海軍經理學校となりました。七十一年の歴史の中で、
出身者一万名を超え海軍戦力一翼を担い輝かしい功績を挙げました。

神道無念流 練兵館跡

神道無念流剣客・斉藤弥九郎により、それまで泪橋付近にあった練兵館が、
天保九年(1838年)火事で類焼したため、この地に再建され、
その後三十年間隆盛を誇りました。練兵館は、千葉周作(北辰一刀流)玄武館
桃井春蔵(鏡新明智流)士学館とともに、幕末三道場といわれています。

練兵館には、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、品川弥二郎などの幕末の志士多数入門し、
特に桂小五郎剣の腕前も優れ師範代もつとめました。

相撲場

春の例大祭では奉納相撲が行われています。

能楽堂

明治十四年岩倉具視の呼びかけで、芝公園建築されましたが、
明治三十六年移築奉納されました。

特攻勇士之像

平成十七年建立された特攻勇士を讃える像です。
敵艦戦等突入散華された陸海軍人5,843名を追悼しています。

母の像

戦争未亡人への敬意と感謝を込めて、昭和四十九年(1974年)に建てられました。

軍犬慰霊像

平成四年(1992年)に建てられました。
兵士たちの最愛の仲間であったジャーマンシェパードです。

戦歿馬慰霊像

戦場で斃れた馬の霊を慰めるため、昭和三十三年(1958年)奉納されました。

パール博士顕彰碑

極東国際軍事裁判(通称:東京裁判)インド代表判事であった、
ラダ・ビノード・パール博士功績を伝える為、
平成十七年(2005年)に建てられました。

裁判官の中でただ一人
被告団全員を無罪とする意見書を提出しました。

靖國会館

昭和九年(1934年)「國防館」として竣工しました。
現在は1階靖國偕行文庫があります。

遊就館(ゆうしゅうかん)

英霊の遺品や資料が展示されています。

遊就館扁額

遊就館入口

零式艦上戦闘機五二型(遊就館内:撮影可能エリア)

遊就館1階撮影許可エリアには、零式艦上戦闘機五二型展示されていました。

泰緬鉄道(たいめんてつどう)C56型31号機関車(遊就館内:撮影可能エリア)

遊就館1階撮影許可エリアには、
泰緬鉄道(たいめんてつどう)C56型31号機関車展示されていました。

泰緬鉄道(たいめんてつどう)は、昭和十八年十月に開業した、
タイとビルマ(ミャンマー)を結ぶ415キロの鉄道でした。
戦後タイ国有鉄道使用され、昭和五十二年に引退しました。

ビルマ(ミャンマー)タンビザヤからタイノンプラドックまで、
各駅が表示されています。

青銅八十封度(ポンド)陸上加農砲

安政元年(1854年)湯島馬場大筒鋳立場鋳造され、品川台場据え付けられていました。

鐵製三十封度(ポンド)船用加農砲

安政元年(1854年)伊豆下田湾外碇泊中露国軍艦テイアナ号は、
大地震の津波により座礁しました。

乗組員幕府に請いスクーナー船二隻造り之に乗じて帰国しました。
露国政府テイアナ号備砲五十二門幕府に贈り、その厚誼に感謝しました。

桜の標本木

東京管区気象台桜の開花観測するために指定されたソメイヨシノ標本木です。

神池庭園

高燈籠(たかとうろう)

高燈籠明治四年(1871年)に当時の招魂社の燈籠として設置されました。
当時は品川沖を出入りする船の目印として、東京湾からも望むことが出来ました。

かつて九段坂急坂で、いくつかの段が築かれていましたが、
関東大震災後帝都復興計画により勾配をゆるやかにする改修工事が行われ、
高燈籠も大正十四年(1925年)現在の場所へ移転しました。

九段坂(くだんざか)

靖国神社側から九段下駅側を見た九段坂です。
名前の由来は、坂に沿って御用屋敷の長屋九つの段に沿って建っていたとも、
急坂九つの段が築かれていたともいわれています。

九段坂上には高燈籠が設置され、隣接して陸軍の将校クラブである、
偕行社(かいこうしゃ)が建てられました。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑のご案内

靖國神社のご朱印

令和六年冬季限定刺繍ご朱印案内

平成十八年拝受:ご朱印

令和六年拝受:ご朱印

神社情報

  • 住所:東京都千代田区九段北3-1-1
  • アクセス:東京メトロ・都営地下鉄九段下駅徒歩5分
  • HP:https://www.yasukuni.or.jp/

靖國神社周辺

千鳥ヶ淵

春は桜の名所となります。

九段坂公園:大山巌像

薩摩藩出身日露戦争の際の陸軍司令官であった、
大山巌(おおやまいわお)の銅像があります。

大山巌像は、大正八年(1919年)に現在の国会前庭設置されました。
昭和二十三年(1948年)GHQによって一時撤去され、東京都美術館に預けられた後、
昭和四十四年(1969年)現在地へ移転しました。

九段坂公園:品川弥二郎像

長州藩出身吉田松陰松下村塾入門しました。
明治時代子爵で、内務大臣であった品川弥二郎の銅像です。

品川弥二郎像は、明治四十年(1907年)設置されました。
弥二郎はかつて九段北に存在した練兵館剣術を学んでおり、
練兵館に近い九段坂公園像が設置されました。

現在は大山巌像と並んで、靖國神社から道路を挟んで向かい側にある、
九段坂公園にあります。

ご覧頂きましてありがとうございます。