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服部半蔵開基:四谷西念寺(さいねんじ)
服部半蔵正成(まさなり/まさしげ)
由緒
文禄三年(1594年)に服部正成が麹町清水谷に安養院という庵を開創したことが始まりです。
徳川信康の冥福を祈る為に出家し、西念と号し、安養院に供養塔を建てて菩提を弔いました。
寛永十一年(1634年)頃に江戸城拡張工事の為、現在地に移転しました。
本堂
本堂の一部は、昭和三十六年の本堂再建の際、
千葉大多喜城の本丸御殿の一部が移築されたようです。
千葉大多喜城は徳川四天王の一人である本多忠勝が一時期治めていました。
服部半蔵正成:墓所
墓地入口のすぐ左手に墓所がありました。
その他境内には徳川信康の供養塔もあるようです。
四谷西念寺のご朱印
西念寺:御朱印帳
赤と黒の忍者デザインの御朱印帳を購入しました。
御本尊:ご朱印
鬼半蔵:ご朱印
ご朱印は2種類頂く事が出来ました。書置きのご朱印も別にありました。
ご朱印を頂いた際、ポストカードを頂く事ができました。
ポストカードには徳川十六神将図や、
新宿区指定文化財の『服部半蔵の槍』の写真もありました。
寺院情報
- 住所:東京都新宿区若葉2-9
- アクセス:JR四ツ谷駅下車徒歩約8分
- HP:https://www.yotsuya-sainenji.or.jp/index.html
四谷西念寺周辺
観音坂(かんのんざか)
西念寺と真成院(しんじょういん)の間にある、南に下る坂になります。
真成院は江戸三十三観音霊場の第十八番札所であり、坂の名の由来となりました。
ご覧頂きましてありがとうございます。
父・半蔵保長の代より徳川家に仕え、徳川家の重臣として、
槍の名人・忍びの達人として知られています。徳川十六神将の一人です。
天正七年(1579年)に徳川家康の嫡男である信康は、織田信長に謀反を疑われ、
遠江国二俣城で自刃に追いやられた際は、介錯を命じられましたが、
手を下すことができず、刀を投げ捨て、落涙し倒れ伏したといいます。
本能寺の変後の家康の『伊賀越え』では、伊賀・甲賀の土豪と交渉し、
警護させることで、家康一行を安全に通行させ、三河岡崎まで護衛しました。
慶長元年(1597年)に亡くなりました。享年五十五でした。