東京都文京区:徳川家康母・於大の方菩提寺:伝通院のご朱印

江戸三十三観音霊場第十二番札所:伝通院(でんづういん)

江戸三十三観音霊場

江戸三十三観音霊場

江戸時代寛永十八年(1641年)から元禄十一年(1703年)の間に、
開創されたといわれています。
明治の廃仏毀釈を経て、廃寺などで札所が入れ替わり、
昭和五十一年(1976年)に改訂されました。
昭和新撰江戸三十三観音』と呼ばれています。

江戸三十三観音霊場は特に専用の御朱印帳はありませんでしたので、
寺院用の御朱印帳に頂きました。

於大(おだい)の方

於大の方

享禄元年(1528年)三河刈谷城主である水野忠政として生まれました。
天文十年(1541年)徳川家康である岡崎城主松平広忠結婚しました。
実家の水野家松平氏の主君である今川氏と絶縁し、織田方についた為、
広忠により離縁され、阿久比城主久松俊勝再婚しました。
今川氏より独立した家康は、俊勝と於大の方の3人の息子を家臣とし、
松平の姓を与え於大の方を母として迎え入れました。
慶長七年(1602年)伏見城で亡くなりました。享年七十四でした。

由緒

応永二十二年(1415年)了誉上人により、小石川極楽水の地に、
小さな草庵として無量山寿経寺という名で開山されました。

極楽水は現在、小石川七福神弁財天祀られています。

於大の方を埋葬する寺院に関して、
増上寺開山した聖聡上人である了誉上人故地(こち:ゆかりの地)に、
新たな寺院を建立するようにという観智国師の言上を受け、
伝通院の建立が決まりました。

慶長十三年(1608年)堂宇が竣工しました。
於大の方法名より『伝通院(でんづういん)』と呼ばれるようになりました。

慶長十八年(1613年)には増上寺から学僧三百人が移されて、
檀林(仏教学問所)として、多い時には千人もの学僧修行していたそうです。

山門

昭和二十年空襲で焼失しましたが、平成二十四年(2012年)再建されました。

令和五年の正月期間山門は、提灯などきれいに飾られていました。

本堂

昭和二十年空襲で全焼した本堂は、昭和二十四年(1949年)再建されました。
現在の本堂は昭和六十三年(1988年)再建されたものです。

書院

寺務所

鐘楼堂

戦災を乗り越えて残っている鐘楼だそうです。

法蔵地蔵尊

如是我聞(かくのごとくわれきけり)碑

書家・歌人中村素堂の碑です。

幕末の浪士隊結成ゆかりの地:処静院跡(しょじょういんあと)の石柱

伝通院の塔頭の一つ福聚院の北側にあった処静院(しょじょういん)の前に建っていました。

文久三年(1863年)幕末の治安維持を目的とした組織である浪士隊が結成されました。
後の新撰組の前身となります。山岡鉄舟清河八郎を中心に、
芹沢鴨近藤勇土方歳三沖田総司などが加わりました。

尊王憂国の僧である琳瑞(りんずい)上人処静院の僧でした。
高橋泥舟山岡鉄舟の良き理解者でした。
慶長三年(1867年)幕臣の子弟により暗殺されました。

徳川家の墓所

於大の方:墓所

徳川家康今川氏織田氏人質となっていた時も、
我が子家康慰め音信を断たなかったといいます。

徳川家光正室・孝子:墓所

前関白鷹司信房でした。延宝二年(1674年)七十四歳亡くなりました。

千姫:墓所

千姫江戸幕府二代将軍徳川秀忠で、慶長八年(1603年)豊臣秀頼に嫁ぎました。

元和元年(1615年)本多忠政の子・忠刻再婚するも死別しました。

徳川家斉二十男と十五女:墓所

江戸幕府十一代将軍徳川家斉二十男である久五郎十五女元姫墓所です。

家斉男子二十六人女子二十七人五十三人の子女を設けました。

徳川家宣二男・家千代:墓所

江戸幕府第六代将軍徳川家宣二男家千代墓所です。

徳川吉宗二女・芳姫:墓所

江戸幕府八代将軍徳川吉宗二女芳姫墓所です。

徳川綱重・正室:墓所

江戸幕府三代将軍徳川家光二男徳川綱重正室墓所です。

清河八郎:墓所

幕末の勤王家清河八郎墓所です。浪士隊の結成に参加したが、
近藤勇・土方歳三らの佐幕派と対立し、江戸に戻されました。
文久三年(1863年)幕府方の襲撃に遭い、亡くなりました。享年三十四でした。

伝通院のご朱印

御本尊:ご朱印

江戸三十三観音霊場:第十二番札所:ご朱印

ご朱印を頂いた際、御供物を頂きました。

寺院情報

  • 住所:東京都文京区小石川3-14-6
  • TEL:03-3814-3701 
  • アクセス:東京メトロ丸ノ内線後楽園駅下車徒歩10分
         都バス(錦糸町~大塚)傳通院前バス停下車徒歩1分
  • HP:http://www.denzuin.or.jp/

伝通院周辺

日本指圧専門学校

伝通院の隣には浪越徳治郎氏が設立した、日本で唯一の指圧の専門学校である、
日本指圧専門学校があります。

伝通院境内:指塚

伝通院の境内には浪越氏が寄贈した指塚がありました。

(仮称)文京区児童相談所

伝通院の隣は空き地となっていましたが、
(仮称)文京区児童相談所建設されるようです。

旧表町(おもてちょう)

慶長七年(1602年)伝通院前表町と称して町屋が開かれたそうです。
明治二年表町となりました。昭和三十九年までの町名です。

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