【史跡訪問】神奈川県鎌倉市:問注所跡・裁許橋・旧鎌倉御用邸正門

鎌倉幕府有力御家人の三善康信(みよしやすのぶ)ゆかりの地:問注所跡・裁許橋(さいきょばし)・旧鎌倉御用邸門

鎌倉幕府有力御家人:三善康信(みよしやすのぶ)

三善康信

保延六年(1140年)に生まれました。母親鎌倉幕府初代将軍源頼朝乳母の妹であり、
その縁から伊豆に流罪となっていた頼朝月に三度、京の情勢を伝えていました。
康信の手紙が、頼朝平家打倒の挙兵のきっかけになったといわれています。
鎌倉幕府では初代問注所執事として訴訟の事務を担当しました。
承久の乱では病身の身で評議に参加し、即時の出兵主張しました。
乱後の承久三年(1221年)亡くなりました。享年八十一でした。

三善康信初代問注所執事として訴訟の事務を担当しました。

今小路通り

今小路通り寿福寺の門前で鎌倉十橋のひとつの『勝ノ橋』から、
南は六地蔵までといわれています。

鎌倉青年團:問注所跡碑

問注所跡

問注所跡の碑は現在『鎌倉御成町マスターズハウス』というマンションとなっております。

問注所

問注所鎌倉幕府訴訟を担当する機関で、元暦元年(1184年)設置されました。
当初は源頼朝邸宅に置かれましたが、怒号や喧騒が飛び交った為、
移転を命じられたともいわれています。
その後建長元年(1250年)引付衆(ひきつけしゅう)設置され、
御家人の所領の訴訟を扱い、問注所民事の訴訟や雑務の扱うようになりました。

刑事の訴訟侍所(さむらいどころ)鎌倉の民事の訴訟政所(まんどころ)が扱い、
西国六波羅探題所管していました。

鎌倉十橋:裁許橋(さいきょばし)

問注所跡から今小路通り六地蔵方面に歩くと佐助川にかかる裁許橋があります。
訴訟を扱う問注所裁許(さいきょ:裁決)したことから、
この名がつけられたといわれています。

旧鎌倉御用邸正門(御成小学校正門)

裁許橋から南に歩くと立派な門があり、『御成小学校』と書かれていました。

明治三十二年(1899年)鎌倉御用邸が作られましたが、関東大震災で倒壊し、
御用邸は廃止され、跡地に昭和八年(1933年)御成小学校開校されました。

昭和四十年(1965年)にかつて御用邸があったことを残す為、
周辺の町名を御成町(おなりまち)と名付けられました。

国指定登録有形文化財:御成小学校旧講堂

平成二十九年(2017年)御成小学校旧講堂は、国の登録有形文化財指定されました。

旧鎌倉図書館(仮称:おなり子どもの家)

御成小学校正門の横の工事中の現場は、
昭和十一年(1936年)に建設された鎌倉図書館があり、
昭和四十九年(1974年)役割を終えた後、
平成二十六年(2014年)まで庁舎として利用されていました。
建物は解体予定でしたが、保存を求める声や寄付があり、
『仮称:おなり子どもの家』として活用されることになったようです。

令和五年(2023年)二月完成予定だそうです。

問注所跡情報

  • 住所:神奈川県鎌倉市御成町9−18
  • アクセス:JR鎌倉駅下車徒歩4分

裁許橋情報

  • 住所:神奈川県鎌倉市御成町6−27
  • アクセス:JR鎌倉駅下車徒歩5分

旧鎌倉御用邸正門(御成小学校正門)情報

  • 住所:神奈川県鎌倉市御成町19−1(御成小学校)
  • アクセス:JR鎌倉駅下車徒歩5分

旧鎌倉図書館(仮称:おなり子どもの家)

  • 住所:神奈川県鎌倉市御成町18−10
  • アクセス:JR鎌倉駅下車徒歩3分

ご覧頂きましてありがとうございます。