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畠山重忠菩提寺:満福寺(まんぷくじ)
鎌倉幕府有力御家人・畠山重忠
由緒
鳥羽天皇(1110年頃)の御代に弘誓房(ぐせつぼう)深海上人が草創しました。
後に畠山重忠が寿永年間に再興し、菩提寺としました。
山門
境内と本堂
本堂
現在の本堂は寛政四年(1792年)に建立されました。
御本尊は不動明王・制吒迦(せいたか)・矜羯羅(こんがら)両脇侍の三尊立像です。
本堂前には摩尼車(まにぐるま)があります。
一回まわせばお経を一巻読んだのと同じ功徳が得られると言われています。
観音閣
畠山重忠の守本尊(等身大)である千手観音像が安置されています。
重忠廟
重忠廟があります。
二俣川合戦の地など畠山重忠公終焉の地を巡ってきました。
彰義隊士・水橋右京之亮墓
慶応四年五月にこの地で没した彰義隊士の水橋右京之亮の墓がありました。
彰義隊士墓所
円通寺には彰義隊士の墓所があります。
上野公園内の西郷隆盛像の裏にも彰義隊士の墓所があります。
六地蔵
寺院情報
- 住所:埼玉県深谷市畠山931-1
- アクセス:秩父鉄道永田駅徒歩19分
畠山重忠ゆかりの地
ご覧頂きましてありがとうございます。
畠山氏は坂東八平氏の一つである秩父氏の一族です。
畠山重忠は源頼朝の挙兵の際、最初は平家方として頼朝討伐に参加しましたが、
その後頼朝に帰伏しました。
鎌倉幕府の有力御家人として、『鎌倉武士の鑑』とも称されました。
しかし北条時政の謀略により、北条義時率いる大軍に滅ぼされました(畠山重忠の乱)
享年四十二でした。武勇の誉れ高く、
清廉潔白な人柄から『坂東武士の鑑(かがみ)』と呼ばれました。