徳川家ゆかりの三社巡り:五社神社諏訪神社(ごしゃじんじゃすわじんじゃ)
JR浜松駅
浜松には徳川家康ゆかりの地があります。
JR浜松駅には『徳川家康ゆかりの地』ののぼり旗と、
浜松市に本社のある車メーカーのスズキのアルトが展示されていました。
全国東照宮めぐり
全国東照宮めぐり:御朱印帳
御朱印帳は日光東照宮で頂きました。
2023年大河ドラマ『どうする家康』放映記念:徳川家ゆかりの三社巡り
2023年大河ドラマ『どうする家康』の放映記念として、徳川家にゆかりのある、
井伊谷宮摂社井伊社と浜松八幡宮、五社神社諏訪神社の三社巡りが企画されています。
頂いたご朱印が貼り付けられるようになっています。
五社神社:由緒
後の浜松城である曳馬城主の久野越中守が城内に創建したことから始まります。
徳川家康が浜松城主となり、
天正七年(1579年)に後の江戸幕府二代将軍の徳川秀忠が誕生した際、
産土神として崇敬され、天正八年(1580年)に現在地に遷座されました。
三代将軍の徳川家光が上洛の節に改めて社殿の造営がなされ、
寛永十八年(1641年)に竣工した社殿は戦前まで旧国宝に指定されていましたが、
太平洋戦争の空襲により焼失しました。
諏訪神社:由緒
延暦十年(791年)に坂上田村麻呂が東征の際、
敷智郡(ふちぐん)上中島村に奉斎と伝えられています。
弘治二年(1556年)に曳馬城下の大手前に遷座されました。
天正七年(1579年)に後の江戸幕府二代将軍の徳川秀忠が誕生した際、
五社神社と同じく産土神として崇敬され、
徳川家康により社殿が造営されました。
三代将軍の徳川家光が上洛の節に現在地へ遷座し、社殿の造営がなされ、
寛永十八年(1641年)に竣工した社殿は戦前まで旧国宝に指定されていましたが、
太平洋戦争の空襲により五社神社とともに焼失しました。
五社神社諏訪神社:由緒
昭和三十七年(1962年)に五社神社と諏訪神社が合祀されました。
鳥居
五社神社通りと五社前通りの交差点にあります。
社殿
現在の社殿は昭和五十七年(1982年)に竣工しました。
五社神社と諏訪神社の御祭神が祀られています。
狛犬
摂社:五宝稲荷神社
光海霊神(うなてりのみたま)の碑
浜松生まれの国学者である賀茂真渕が幼少の頃、
師と仰いだ五社神社の神主である森暉昌(もりてるまさ)の功績を称え、
明和四年に顕彰碑が建立されました。
碑の上部は太平洋戦争の空襲にて損傷しました。
手水鉢
寛永十五年に浜松城主高力忠房が社殿の完成後に寄進したものです。
高力忠房は二代将軍の徳川秀忠より元服の際、『忠』の一字を賜り、
忠房と名乗りました。
南側鳥居
教育文化会館「はまホール」(現在は閉館)側にある鳥居です。
五社神社諏訪神社のご朱印
五社神社諏訪神社:ご朱印
徳川家ゆかりの三社めぐり・徳川家康公:ご朱印
『徳川家ゆかりの三社巡り』の御朱印帳台紙に貼りました。
御神刀:ご朱印
徳川家により奉納されました『備前國光忠』のご朱印です。
五宝稲荷神社:ご朱印
神社情報
- 住所:静岡県浜松市中区利町302-5
- アクセス:JR浜松駅徒歩10分
- HP:https://www.gosyajinjya-suwajinjya.or.jp/
五社神社諏訪神社周辺
金山神社(かなやまじんじゃ)
五社神社諏訪神社からはまホールを挟んで、鴨江小路沿いに金山神社があります。
金山神社・由緒
天正年間に徳川家康が浜松城を造営する際、
三の丸に鍛冶衆を常駐させ、同時に美濃国の南宮大社の御分霊が勧請されました。
金山神社・社殿
太平洋戦争の空襲により社殿が焼失しましたが、昭和三十五年に再建されました。
新選組隊士・中島登住居跡地
五社神社諏訪神社の前に新選組隊士中島登の住居がありました。
現在はコインパーキングになっていますが、
かつては中島の実家の鉄砲火薬店があったそうです。
ご覧頂きましてありがとうございます。
昭和四十年(1965年)に全国の徳川家康公を奉斎する神社で、
『全国東照宮連合会』が結成されました。
平成二十七年の徳川家康没後四百年忌にご朱印帳が作成されました。
『全国東照宮めぐり』は現在加盟している四十七社を巡るものです。