静岡県駿東郡清水町:源頼朝・義経ゆかりの地:対面石八幡神社のご朱印

黄瀬川の対面:清水長泉総鎮守:対面石(たいめんせき)八幡神社

由緒

創立年代は未詳だそうですが、駿河桃沢神社故地とも、
伊豆小川泉水神社のうち八幡社を遷したとも伝えられています。

後に源頼朝社殿の再建境内の整備を行いました。

駿河・伊豆両国境の神街道守護の神として、
篤い崇敬が寄せられていました。

対面石(たいめんせき)

治承四年(1180年)十月平家の軍勢富士川で対峙した源頼朝は、
奥州から駆け付けた源義経と涙ながらに対面し、
共に平家打倒を誓ったといわれています。
この対面の時に二人が腰掛けた石対面石(たいめんせき)といいます。

境内の奥に対面石があります。

『ねじり柿』の木もありました。

鎌倉幕府初代将軍:源頼朝

源頼朝

清和源氏の嫡流である河内源氏源義朝三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、
北条政子との婚姻を期に、平家打倒に挙兵しました。
その後鎌倉幕府初代将軍となりました。
これにより東国独立した武家政権が開かれました。
建久九年(1198年)相模川橋供養の帰りに体調不良からの落馬が原因で、
五十二歳亡くなりました。

源義経(みなもとのよしつね)

源義経

清和源氏嫡流の河内源氏源義朝九男として生まれました。
兄に鎌倉幕府初代将軍源頼朝がいます。
平治の乱で父・義朝が敗れたことにより鞍馬寺に預けられました。
奥州平泉藤原氏当主藤原秀衡の庇護を受け、
兄・頼朝が平家打倒に挙兵すると馳せ参じ、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼしました。
その後頼朝との対立により奥州平泉に逃れましたが、
藤原秀衡の死後、跡を継いだ藤原泰衡によって攻められ、
自害しました。享年三十一でした。

社標と鳥居(県道145号線前)

旧東海道にある最寄りのバス停を降りると社標と鳥居があります。
鳥居は保護の為ロープが張られていました。
社殿まで約二百メートルの参道があります。

徳川家康はそれまで足柄越えであった東海道箱根越えに改めた際、
西向きであった社殿南向きにし、街道に面した参道をつくりました。

社殿前鳥居

2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にちなんで、
『ぶしのくに』のぼり旗もありました。

太鼓橋

かつて源平池があった小川に太鼓橋がかかっています。

拝殿

拝殿源頼朝による再建八百二十年記念して、
平成四年秋に完成しました。

本殿

本殿総欅(けやき)造だそうです。保護の為、屋根で覆われていました。

対面石八幡神社:ご朱印

社務所は閉まっていましたが、書置きのご朱印が置いてありました。

神社情報

  • 住所:静岡県駿東郡清水町八幡39
  • アクセス:JR沼津駅下車伊豆箱根バス長沢バス停下車徒歩4分
  • HP:http://www.inarijinja.com/yahata/

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