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黄瀬川の対面:清水長泉総鎮守:対面石(たいめんせき)八幡神社
由緒
創立年代は未詳だそうですが、駿河の桃沢神社の故地とも、
伊豆の小川泉水神社のうち八幡社を遷したとも伝えられています。
後に源頼朝は社殿の再建や境内の整備を行いました。
駿河・伊豆両国境の神、街道守護の神として、
篤い崇敬が寄せられていました。
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対面石(たいめんせき)
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/12/対面石3-1024x768.jpg)
治承四年(1180年)十月に平家の軍勢と富士川で対峙した源頼朝は、
奥州から駆け付けた源義経と涙ながらに対面し、
共に平家打倒を誓ったといわれています。
この対面の時に二人が腰掛けた石を対面石(たいめんせき)といいます。
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境内の奥に対面石があります。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/12/対面石-1024x693.jpg)
『ねじり柿』の木もありました。
鎌倉幕府初代将軍:源頼朝
源義経(みなもとのよしつね)
清和源氏嫡流の河内源氏の源義朝の九男として生まれました。
兄に鎌倉幕府初代将軍の源頼朝がいます。
平治の乱で父・義朝が敗れたことにより鞍馬寺に預けられました。
奥州平泉藤原氏当主の藤原秀衡の庇護を受け、
兄・頼朝が平家打倒に挙兵すると馳せ参じ、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼしました。
その後頼朝との対立により奥州平泉に逃れましたが、
藤原秀衡の死後、跡を継いだ藤原泰衡によって攻められ、
自害しました。享年三十一でした。
社標と鳥居(県道145号線前)
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/12/社標と鳥居-1024x868.jpg)
旧東海道にある最寄りのバス停を降りると社標と鳥居があります。
鳥居は保護の為ロープが張られていました。
社殿まで約二百メートルの参道があります。
徳川家康はそれまで足柄越えであった東海道を箱根越えに改めた際、
西向きであった社殿を南向きにし、街道に面した参道をつくりました。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/12/神社案内看板-768x1024.jpg)
社殿前鳥居
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/12/社殿前鳥居-1024x682.jpg)
2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にちなんで、
『ぶしのくに』ののぼり旗もありました。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/12/ぶしのくにのぼり-807x1024.jpg)
太鼓橋
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/12/鳥居前太鼓橋-1024x691.jpg)
かつて源平池があった小川に太鼓橋がかかっています。
拝殿
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拝殿は源頼朝による再建八百二十年を記念して、
平成四年秋に完成しました。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/12/社殿2-1024x768.jpg)
本殿
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/12/本殿-1024x768.jpg)
本殿は総欅(けやき)造だそうです。保護の為、屋根で覆われていました。
対面石八幡神社:ご朱印
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/12/対面石八幡神社ご朱印.jpg)
社務所は閉まっていましたが、書置きのご朱印が置いてありました。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/12/ご朱印案内-1024x768.jpg)
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2022/12/ご朱印支払い-1024x768.jpg)
神社情報
- 住所:静岡県駿東郡清水町八幡39
- アクセス:JR沼津駅下車伊豆箱根バス長沢バス停下車徒歩4分
- HP:http://www.inarijinja.com/yahata/
ご覧頂きましてありがとうございます。
清和源氏の嫡流である河内源氏の源義朝の三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、
北条政子との婚姻を期に、平家打倒に挙兵しました。
その後鎌倉幕府初代将軍となりました。
これにより東国に独立した武家政権が開かれました。
建久九年(1198年)に相模川の橋供養の帰りに体調不良からの落馬が原因で、
五十二歳で亡くなりました。