安達藤九郎盛長の墓所
安達盛長(あだちもりなが)
安達盛長
源頼朝の側近として、治承四年(1180年)に源頼朝が源氏再興を祈願し、
百日間毎暁蛭が島より三嶋大社へ日参する際、
従者として安達藤九郎盛長が相生松で警護したと伝えられています。
安達藤九郎盛長の墓
修禅寺から坂を登り、桂谷トンネル出口のバイパスを渡ると、
駐車場の奥に墓所はあります。
以前は源範頼の墓のそばにあったそうですが、道路工事に伴い、
現在の場所に移されました。
安達藤九郎盛長の墓情報
- 住所:静岡県伊豆市修善寺964
- アクセス:伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅戸田行バス乗車寺山口バス停下車徒歩約8分
※墓所のそばには数台が駐車できる駐車場があります。
安達藤九郎盛長の墓周辺
桂谷八十八ヶ所
昭和五年に修禅寺三十八世丘球学大和尚が四国八十八ヶ所の土を埋め、
仙台石に弘法大師像を彫り、一から八十八番と番外一基、計八十九基を建立しました。
四国八十八ヶ所巡拝と同じ功徳があるそうです。
安達藤九郎盛長の墓のそばには、
『第七番阿弥陀如来』と『第八番千手観世音菩薩』がありました。
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源頼朝の乳母である比企尼の長女・丹後内侍(たんごのないし)を妻に持ち、
頼朝が伊豆に流されていた時代から仕えていました。
頼朝と北条政子の仲を取り持ったともいわれています。
平家との石橋山の戦いに敗れた後、下総国の大豪族である千葉常胤を説得し、
味方につけました。正治元年一月に頼朝が亡くなると出家し、
翌年正治二年四月に盛長自身も亡くなりました。享年六十六でした。