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女城主・井伊直虎ゆかりの寺:井伊直政公出生之地:井伊谷(いいのや)龍潭寺(りょうたんじ)
由緒
天平五年(733年)に行基菩薩によって開創されたと伝わります。
龍潭寺のある井伊谷は、古く『井の国』といわれ、
『井の国の大王』が治めた土地だそうです。
室町時代に二十代の井伊直平に帰依された黙宗瑞淵禅師が新たに開山となりました。
徳川四天王・井伊直政(いいなおまさ)
井伊谷宮・宗良親王御墓からも行くことができます
隣には井伊家に身を寄せた南北朝時代の後醍醐天皇の皇子である宗良親王御墓や、
親王を祀る井伊谷宮があり、そこから龍潭寺に入ることができます。
井伊氏歴代墓所
宗良親王御墓から境内に入ると、井伊氏歴代墓所があります。
正面の二基は右側が初代井伊共保で、左側が二十二代井伊直盛の墓です。
左側の一番手前が二十四代井伊直政で、左奥から二番目が井伊直虎の墓となります。
開山堂
元禄十五年(1702年)に龍潭寺歴代住職の御霊を祀るお堂で、八世徹叟和尚が建立しました。
二階建ての楼閣造になっています。
井伊家御霊屋
井伊家歴代当主の御霊を祀るお堂です。
堂内には初代共保、二十三代直親、二十四代直政の木像が安置されています。
東門(旧鐘楼堂)
寛永八年(1631年)に井伊直政の母・奥山ひよが再婚した松下清景の養子となった、
松下一定が寄進した建物だそうです。
旧鐘楼堂で、建物の痛みの為、下の部分は切り取られ、低くなっています。
庫裡
拝観受付があります。
文化十二年(1815年)に第十四世住職の仲山和尚代によって建立されました。
美しい大破風が特徴です。
本堂
延宝四年(1676年)に七世喝岩和尚代、
井伊家二十七代井伊直興の寄進により再建されました。
小堀遠州作庭園
江戸時代初期に築かれた小堀遠州作の庭園です。
書院から井伊家のお殿様が御霊屋を遥拝する庭でもあります。
鐘楼堂
昭和四十六年(1971年)に再建されました。
龍潭寺本堂修復紀念瓦
大正10年(1921年)の本堂大改修時に母屋造りとなって、
屋根大棟の両側に使用された鬼瓦が境内に展示されています。
平成二十四年(2012年)の大改修時に元の寄せ棟造りに改められました。
本堂前・補陀落の庭
浜名湖が表現されているそうです。
龍潭寺のご朱印
龍潭寺・ご朱印
寺院情報
- 住所:静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1989
- アクセス:JR浜松駅下車遠鉄バス奥山行き神宮寺バス停下車徒歩10分
新東名高速道路浜松いなさIC約10分 - HP:https://www.ryotanji.com/index.html
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遠江国井伊谷に生まれた井伊直政は、
初代・井伊共保(いいともやす)を初代とする井伊氏二十四代当主で、
高崎城の城主、高崎藩の初代藩主でもあります。
父・直親(なおちか)は謀反の疑いを受け、今川氏真によって誅殺されました。
井伊家は二十二代井伊直盛の娘・直虎が当主となり、直政を後見しました。
井伊直政は天正三年(1575年)に徳川家康の小姓として取り立てられました。
その後『井伊の赤備え』と呼ばれることになる、朱色の軍装を武田家より継承し、
『井伊の赤鬼』と称され、恐れられました。
関ヶ原の戦いの後、石田三成の旧領佐和山の地を与えられ、
近江彦根藩十八万石の初代藩主となりますが、
慶長七年(1602年)に佐和山城で亡くなりました。享年四十二でした。