腹切松(はらきりまつ):腹切り松公園
三浦大介義明(よしあき)
三浦大介義明
源頼朝が三浦大介義明供養の為に建てた鎌倉来迎寺(材木座)に墓所があります。
由緒
衣笠城合戦に敗れ、衣笠城と運命を共にした三浦大介義明ですが、
言い伝えによると、城から逃れ、このあたりの松の木の下で切腹したといわれています。
かつてここに一樹の古松があって、里人は『大介腹切の松』と称し、大切にしてきました。
現在は腹切り松公園として開放されています。
腹切り松
現在は樹齢約四十年の二代目の松になっているそうです。
松のそばには石碑が建っています。
腹切り松公園全景
住宅街の中にある静かな公園です。
腹切り松公園情報
- 住所:神奈川県横須賀市大矢部5-18-5
- アクセス:JR衣笠駅下車徒歩8分衣笠十字路バス停乗車
YRP野比駅行大矢部三丁目バス停下車徒歩約2分
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三浦一族は桓武平氏の平良文を祖としています。
相模国三浦郡衣笠城を拠点とし、子に和田氏の祖である杉本義宗、三浦義澄などがいます。
治承四年(1180年)に源頼朝の挙兵に合流するため8月22日に三浦を出発しました。
途中由比ヶ浜で平家方の畠山重忠に襲われるが、これを退け、三浦に帰りました。
26日に再び畠山重忠に襲われ、衣笠城で防戦し、衣笠城合戦となり、
三浦義澄らは城を脱出しますが、老齢の義明はひとり残り、討ち死にしました。
享年八十九でした。