Contents
古河城主永井家墓所:永井寺(えいせいじ)
令和七年現在、ご朱印は授与されていないようです。
由緒
永井家の菩提寺で、寛永三年(1626年)に古河城主の永井直勝が開基で、
子の永井尚政が父親の追善供養のために建立しました。
古河城の観音寺曲輪の堀を挟んだ北側に隣接し、追手門に近い武家地に立地していました。
永井直勝(ながいなおかつ)
永井家は子の尚政が跡を継ぎましたが、寛永十年(1633年)に淀城主に移封されるまで、
二代十一年間当地を治めました。
参道

鐘楼

境内には鐘楼が地面に置かれていました。
本堂

永井家墓所

墓所には直勝の墳墓をはじめ、市内最大級で、江戸時代初期のものとして貴重な宝篋印塔と、
直勝の功績をたたえた石碑(江戸幕府儒者林羅山碑文)があります。

二代尚政(なおまさ)、三代尚征(なおゆき)と弟の尚庸(なおやす)の供養塔もあります。

永井直勝武将印
令和六年購入:永井直勝武将印

古河市内にある「古河のお休み処板長(http://sakacho.com/)」で購入しました。
寺院情報
- 住所:茨城県古河市西町9-33
- アクセス:JR古河駅下車徒歩約18分
ご覧頂きましてありがとうございます。











上野小幡藩主、常陸笠間藩主、下総古河藩初代藩主で永井宗家初代です。
天正十二年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは、池田恒興を討ち取る大功を挙げました。
大坂の陣でも功績を挙げ、元和二年(1616年)に上野小幡藩1万7000石に加増、
元和三年(1617年)には常陸笠間藩3万2000石を与えられ、後に2万石を加増されました。
元和八年(1622年)に下総古河で7万2000石を与えられました。
寛永二年(1626年)に六十三歳で亡くなりました。