Contents
早逝した鎌倉幕府執権北条家の嫡男:北条宗時・狩野茂光墓所
北条宗時(ほうじょうむねとき)
小平井久重は治承五年(1181年)に工藤景光に捕らえられ、
和田義盛に預けられた後、腰越の浜で晒し首となりました。
狩野茂光(かのしげみつ)
工藤氏の一族であり、狩野氏の祖であります。伊豆半島を所領とし、
保元の乱(1156年)で大島に流罪となった源為朝の監視役となりました。
嘉応二年(1170年)に周辺の豪族を従えて自立の動きを見せた為朝を追討し、
自害に追い込みました。
治承四年(1180年)に源頼朝の平家打倒の挙兵の際に参加しましたが、
石橋山の戦いで敗れ、自害しました。画派の狩野派などは茂光の末裔だそうです。
墓所
大きい塔が北条宗時で、小さい塔が狩野茂光の墓だそうです。
由緒
建仁二年(1202年)に夢のお告げがあったとして、
父親の北条時政が宗時の菩提を弔う為に伊豆国へ下向しています。
墓所全景
土地の人から『宗時神社』として祀られているそうです。
北条宗時・狩野茂光墓所の碑
高台にある墓所
JR函南駅から坂を下りてしばらく歩くと、『宗時の墓所』という案内看板がありました。
墓所から伊豆方面への眺め
墓所から見える景色は伊豆仁田の方面でしょうか。
北条宗時・狩野茂光墓所情報
- 住所:静岡県田方郡函南町大竹218-4
- アクセス:JR函南駅下車徒歩6分
ご覧頂きましてありがとうございます。
鎌倉幕府初代執権の北条時政の嫡男として生まれました。
二代執権の北条義時や阿波局の同母兄にあたり、
北条政子・北条時房は異母妹弟となります。
治承四年(1180年)に源頼朝の平家打倒の挙兵の際、父親の時政、弟の義時とともに、
山木兼隆邸(現・香山寺)を襲撃しました。
石橋山の戦いに敗れ、頼朝らと共に山中に逃げましたが、
その後時政と義時は甲斐国に向かいました。
宗時は山を降り、早河の辺りで伊東祐親の軍勢に包囲され、
平井郷の武士である小平井久重(こひらいひさしげ)に射られて討たれました。