大阪府池田市:国人領主池田氏の居城:池田城の御城印

五月山南麓:池田城跡公園:池田城(いけだじょう)

由緒

建武元年(1334年)前後に、現在の五月山(さつきやま)南麓丘陵地に、
豪族池田教依城を築き、代々池田氏城主を務めました。
文明元年(1469年)応仁の乱東軍細川勝元に付いた池田氏は、
西軍大内政弘攻められ落城しましたが、すぐに奪回しました。

永正五年(1508年)細川家の内紛では、反対勢力の細川高国攻撃を受けて落城するも、
永正十六年(1519年)池田貞正子・三郎五郎池田城取り戻しました。

永禄十一年(1568年)池田勝正織田信長に抵抗しましたが、織田軍の攻撃を受けて落城
その後信長の家来となった勝正は、和田惟政、伊丹親興とともに摂津三守護に任命されるも、
三好三人衆に味方した、一族池田知正荒木村重追放されました。

その後織田信長家来となった荒木村重は、伊丹氏を倒した後、
伊丹有岡城を築き、拠点を移しました。

天正六年(1578年)荒木村重織田信長を裏切りましたが、
翌年信長に攻められた有岡城落城し、村重の妻子や家来は処刑されました。

村重の裏切り後、池田城織田方に利用されましたが、有岡城落城後廃城となりました。

池田城発掘調査

平成元年(1989年)から4年に渡って発掘調査が行われ、多くの遺構や遺物が出土しました。

平成十二年(2000年)池田城跡公園としてオープンしました。

当時の池田城復元図です。

池田城跡公園案内図

東門

本来東門ありませんでしたが、整備に際し大手門を模して建てられました。

東門池田城跡公園入口になります。

虎口門

織田信長の支配下となってから虎口採用されたと考えられます。

西門

西門の先は階段となっており、池田城の高さがわかります。

南門

階段を下りると南門があります。

櫓風展望休憩舎(やぐらふうてんぼうきゅうけいしゃ)

当時は存在しない建物でした。
近くの大阪国際空港(伊丹空港)離着陸する飛行機が見えます。

櫓風展望休憩舎の前には池があり、鯉が泳いでいました。

池泉回遊式庭園となっています。

展望休憩舎の中には建設中の写真もありました。

展望休憩舎からの眺め

桜の花が綺麗に咲いていました。

住宅がかなり下にあります。丘陵地にあり、見晴らしの良さがわかります。

展望休憩舎から東門が見えます。

芝生広場

休憩舎の前には舞台があり、池の鯉を眺めることができます。
芝生広場には東屋もあります。

礎石(復元)

土塁

排水溝

池田城の御城印

池田城跡:御城印

管理棟で販売されていました。

池田城跡情報

  • 住所:大阪府池田市城山町3-46
  • アクセス:阪急宝塚線池田駅徒歩約15分

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