静岡県田方郡函南町:鎌倉幕府御家人:仁田忠常兄弟墓所:慶音寺のご朱印

仁田家菩提寺:慶音寺(けいおんじ)

伊豆箱根鉄道駿豆線(すんずせん)

三島駅より伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り、伊豆仁田駅へ向かいました。
仁田忠常墓所のある慶音寺があります。

近くには狩野川水系来光川にかかる仁田橋がありました。

仁田忠常(にったただつね)

仁田忠常

治承四年(1180年)源頼朝の挙兵に一族とともに加わりました。
石橋山の戦いでは兄・忠俊が戦死し、自身も九死に一生を得ました。
その後平家打倒に武功を挙げ、建久四年(1193年)曾我兄弟の仇討ちでは、
曾我祐成(そがすけなり)討ち取りました。
頼朝の死後は二代将軍源頼家嫡男・一幡乳母父となります。
建仁三年(1203年)七月頼家病に倒れ八月には重態となった時、
九月北条時政の命に従い、頼家の外戚である比企能員謀殺しました。
『吾妻鏡』によると、その後危篤状態から回復した頼家比企一族の滅亡を知り激怒し、
和田義盛とともに時政追討命令を受けました。
翌晩比企能員追討恩賞を受ける為、忠常は時政邸に向かいましたが、
帰宅の遅れ怪しんだ弟の五郎忠正六郎忠時は、
時政追討の命令が露見したと考え、北条政子邸を襲撃し、五郎忠正は討たれ
六郎忠時は自害しました。時政邸を出た忠常は騒ぎを知り、御所へ向かいましたが、
謀反の疑いをかけられ、加藤景廉(かとうかげかど)討たれました。享年三十七でした。

建仁三年(1203年)富士の巻狩りにおいて、源頼朝手負いの大猪襲い掛かり
周囲の御家人がたじろぐ中、ひとり猪を討ち取った猪退治(曾我物語)が有名です。

由緒

元亀元年(1570年)創建された日蓮宗の寺院です。
鎌倉時代より仁田家菩提寺となっています。

山門

伊豆仁田駅から田方農業高校の前を通り、函南(かんなみ)小学校の隣にあります。

寺院のお言葉

『先祖を断つことはかんたんだけど先祖の加護もなくなるぞ』

大黒堂

大黒堂昭和初期建立されたそうです。

七十センチ丈の大きさの木像大黒天が祀られています。

本堂

平成二十八年新本堂建立されたそうです。

仁田忠常兄弟墓所

仁田家入口

隣の仁田家敷地内にあります。

仁田忠常兄弟の墓所:案内看板

2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』仁田忠常役演じた
グレープカンパニー所属のお笑い芸人、
『ティモンディ』高岸宏之さんの手書きの看板だそうです。

墓所入口

仁田忠常兄弟墓所全景

墓所の左側は土塁となっており、鎌倉幕府御家人の館であったことが感じられます。

仁田忠常兄弟墓所

中央仁田四郎忠常左側五郎忠正右側六郎忠時墓所となります。

仁田忠常兄弟墓所:由緒

慶音寺のご朱印

慶音寺:ご朱印

慶音寺情報

  • 住所:静岡県田方郡函南町仁田164-1
  • TEL:055ー978-2489(電話受付時間:9:00-17:00)
  • アクセス:伊豆箱根鉄道駿豆線伊豆仁田駅徒歩約8分
  • HP:https://shofukuzan-keionji.retera.jp/

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