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パークコート神楽坂(赤城神社再生プロジェクト):神楽坂赤城神社(あかぎじんじゃ)
由緒
正安二年(1300年)に上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治によって、
牛込早稲田の田島村に創建されました。
寛正元年(1460年)に江戸城を築城した太田道灌によって、牛込台に移されました。
弘治元年(1555年)に大胡宮内少輔によって現在地へ遷されました。
江戸時代には幕府によって江戸大社のひとつとされ、牛込の鎮守として信仰を集めました。

大鳥居

平成十八年参拝時:大鳥居

社殿

社殿は昭和二十年に空襲により全焼しました。その後昭和二十六年(1951年)に本殿が、
昭和三十四年(1959年)に拝殿・幣殿が再建されました。

江戸時代、加賀白山犬とよばれていましたが、残っている物はわずかです。

過去の参拝時に頂いた神社の会報には、以前の社殿の写真が掲載されていました。

現在の社殿は平成二十二年(2010年)に「赤城神社再生プロジェクト」により、
建て替えられました。
赤城神社再生プロジェクト

平成二十一年(2009年)から二十二年(2010年)にかけて、
老朽化した社殿全体を建て替え、隣接していた私立幼稚園の閉園(少子化のため)に伴い、
その跡地に三井不動産レジデンシャルが約70年の定期借家権を設定し、
敷地内に分譲マンション『パークコート神楽坂』が建設されました。

地代や賃貸による収入は神社の運営にあてられます。

デザイン監修は神社の氏子でもある隈研吾氏が担当しました。
2011年度(平成二十三年)のグッドデザイン賞を受賞しました。
赤城山と大百足

境内には令和二年にコロナウィルス鎮静を願って奉納された、
大百足がありました。

昔赤城山の神様は「ムカデ」となり中禅寺湖の領有をめぐり、
二荒山の「マムシ」となった神様との戦いがあり、
これが奥日光の「戦場ヶ原」の由来になりました。
摂社社殿

境内には「赤城出世稲荷神社」、「八耳神社」、「葵神社」があります。

「赤城出世稲荷神社」は、赤城神社の鎮座前から地主の神と尊ばれ鎮座していました。
「八耳神社」は、戦火で焼失した昔の「太子堂」で、八耳様は聖徳太子です。
「葵神社」は、牛込西五軒町の天台宗宝蔵院に鎮座していましたが、
明治元年に赤城神社内に遷座されました。徳川家康が祀られており、
現在は神楽坂の「東照宮」として親しまれています。


蛍雪天神

かつて横寺町で朝日天満宮と称されていましたが、明治九年三月に境内に遷座されました。
その後戦災で焼失しましたが、平成十七年に横寺町にある旺文社の寄進により、
「蛍雪天神」として復興しました。

「蛍雪」とは中国の故事で、苦労して勉学に励む事を意味します。
俳人拳阿の碑と観音菩薩立像

拳阿は江戸時代の俳人で、幕府の家士でもありました。

観音菩薩立像は、赤城神社の北に位置した宝蔵院(現在は廃寺)より移されました。

境内

神楽坂赤城神社のご朱印
平成十八年拝受:ご朱印

令和三年拝受:ご朱印

神社情報
- 住所:東京都新宿区赤城元町1-10
- アクセス:東京メトロ東西線神楽坂駅徒歩約1分・都営大江戸線牛込神楽坂駅徒歩約5分
- HP:https://www.akagi-jinja.jp/
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