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源範頼(みなもとののりより)公供養塔:金沢薬王寺(やくおうじ)
境内
参拝時は令和四年(2022年)の大河ドラマ、
『鎌倉殿の13人』にちなんだのぼり旗がありました。
源範頼(みなもとののりより)
源範頼公供養塔
境内には源範頼公供養塔がありました。
伊豆の修善寺には墓所があります。
由緒
鎌倉時代の初め、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の異母弟である源範頼の別邸跡に、
範頼の死後、その霊を弔うために三愈山遍照坊が建立されました。
室町時代の中頃に尊誉法印が復興し、薬王寺と改められました。
ご本尊は範頼の念持仏である薬師瑠璃光如来で、行基作と伝わります。
文化財案内
『絹本著食 種子両界曼荼羅図』は仏像のかわりに、
それを象徴する種子(諸尊を表す梵字)で表され、この時代のもとは関東では珍しいそうです。
本堂
本堂は安政年間に焼失し、仮本堂のままでしたが、昭和二十二年に再建されました。
鐘楼堂
境内にある鐘楼堂は天保十一年に建立されました。
金沢薬王寺のご朱印
令和四年拝受:ご朱印
寺務所
ご朱印は寺務所で頂きました。称名寺の赤門からも入ることができます。
寺院情報
- 住所:神奈川県横浜市金沢区寺前2-23-52
- アクセス:京急金沢文庫駅下車徒歩約15分
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源義朝の六男で鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の異母弟になります。
蒲冠者(かばのかじゃ)・蒲殿(かばどの)と呼ばれています。
頼朝の代官として、源義仲や平家討伐に赴き、源義経とともに打ち破りました。
建久四年(1193年)に頼朝に謀反の疑いをかけられ、修善寺に流されました。
修善寺日枝神社の境内にあった信功院に幽閉されていたのを、
梶原景時に討伐され、亡くなったといわれますが、
修善寺から逃れたという伝説もあります。享年四十四です。